(本当は)綺麗も、汚いもない
こんにちは、片づけ習慣化コーチの牛尾恵理です。
「片づけ」って、「やりたくないけど、やらなきゃいけないこと」だと思っている人は、多いと思います。
私もその一人でした。
やりたくないけど、やらなきゃいけない。
だから、しょうがない。
しょうがないから、腹をくくって、自分の仕事だと割り切って、
嫌な気持ちが起きなくなるまで、
続けて続けて「当たり前」にしてしまえばいい。
そんな思いから、片づけを「習慣化」してしまえばいい、という発想に行き着いたのは事実です。
でもやっぱり、子供に「汚いもの」と「綺麗なもの」をごちゃ混ぜにされると怒りが湧くし、
せっかく「スッキリさせた所」を、一瞬にして「カオスにされる」と、やっぱりカーッとなるわけです。
そんな時に煎じて飲みたい言葉の処方箋はこちら。
■片づくマインド・名言シェア109
不垢不浄
般若心経より
この世には、垢(あか=汚い)も、浄(きよさ=綺麗)も、ない。
つまり、「これは汚い、これは綺麗」って決めているのは、人それぞれの、思い込みなんですよね。
もちろん、そうやって思い込むことで、お腹を壊さずに済んだり、感染症にかかりにくいというメリットがあるからこそ、人は記録を残し、子孫に言い伝えてきたんだと思います。
それはある意味「処世術」であって、「本質」ではない。
本質の、「不垢不浄」の原点に立ち返り、汚された所、散らかされた所を見てみると、感情は一旦驚くほど静まります。
「そうだそうだ、綺麗も汚いもないんだった」と、ふうーと目を閉じて息を長く吐く、そして目を開け、もう一度現実を見る。
そうすると、
「(掃除したばかりの)家の床が砂でジャリジャリしている。」
ーだから、どうした。
「(片づけたばかりの)ダイニングテーブルの上が、あっという間にお菓子の袋や食べかすだらけになっている。」
ーだから、どうした。
と、なるわけです。
その後に続く言葉は、「気持ち悪いと思った」とか「うんざりした」とかいう、実に主観的な感想。
要は、なんとかしたいのは、そんな、「自分の内なる意見」だったりします。
なので、もう一人の(すでに落ち着いている)自分が、その意見を聞き、共感してあげます。
「そうか〜、気持ち悪いと思っちゃうよね〜」
「うんざりしちゃうよね〜」
という感じで全肯定。
すると、「そう!そうなのよ!!」と、もともとの自分はプリプリしつつも・・・一度共感してもらえたことで、その気持ちはちょっとおさまります。
そうなると、自分から、「汚いのや散らかってるのは嫌だけど・・・本当は”不垢不浄”だもんね・・・。”綺麗にする”って、単なる私の趣味だよね・・・」
と、いうところに落ち着きます。
綺麗にしたいのは、私だけ
自分の意見に賛同してくれないことへの一抹の寂しさはありますが、「綺麗にしたいのは、私だけ。だって、それは私の趣味だから。」そう思うことで、「やらなければならない」という感覚が、「やりたい」方に少し傾きます。
そのタイミングで動いてみると、アラ不思議、「動きやすい」んです。
「不垢不浄」だけに限らず、般若心経は「不」だらけで、思い込みをどんどん解き放していってくれますから、片づけには本当にピッタリの教えだと思います。
お経は抵抗がある・・・という方は、ジョン・レノンの「イマジン」でもいいと思います。
同じように、「No」だらけです。
英語はわからん、という方は、忌野清志郎氏の日本語バージョンもおすすめ。
なんの考えも評価も「ない」世界を、自分のホームベースにすると、もっと自由にリアル人生ゲームを楽しめるようになると思います。
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