片づけの本質とは
片づけをしばらく続けていると、何のためにやっているのかわからなくなる時があります。
やってもやっても終わりが見えないし、家族は協力してくれないし、徒労感や虚しさを感じる。
捨てようとすると、相変わらず迷うし、もったいないし、とりあえず保留。
ああ、これでは一向に進まない・・・
そんな停滞感を感じた時、こんな名言はいかがでしょうか。
■片づくマインド・名言シェア44
空を道とし、道を空とみる。
宮本武蔵
この「空」は、何ものにも囚われない状態。
鍛錬により、体が覚え込んで、その一瞬自然にそのように動き、そう成ってしまう、みたいな感覚のようです。
何も考えず、何も感じないけれど、相応しい行動が起こされている、という感じ。
般若心経の「色即是空 空即是色」と同じ「空(クウ)」ではない、との解釈もあるようですが、性質的にはやはり通じるものもあると感じます。
片づけは、まさにこの「空」と「色(物質)」を繰り返す流れ=道。
そしてそれをさらに習慣化することで、ほとんど意識することなくいる・いらないの判断をしていたり、気づいたら汚れを拭き取っていたりするようになるのは、武蔵の「空」に近い感覚です。
例えば、1着の古い服があったとします。
その服には、それを手に入れた時のストーリーが色々くっついているでしょう。
いくらだったとか、どこで買ったとか、あの時あそこで着たやつだとか・・・
捨てようとすると、それらの記憶や思い出も一緒に捨ててしまうような気になってしまい、痛くて捨てられないものです。
でも実は、そのストーリーとモノは、自分の頭の中で結びつけているだけ。
この捉え方を採用することができれば、ストーリーは頭に残したまま、モノだけを扱うことができるようになります。
ストーリーを外して、モノだけをよく見てみれば、その服は、もともと地球のどこかにあった綿花だったり、石油だったり・・・
さらにルーツをたどれば、宇宙のどこかにあるようなないような何か=空。
それが、たまたま服となり、ほんの少し間、自分の近くに存在している、というだけのことなんだと思います。
だから、片づけの本質とは、ただただ
所有しようと握りしめてきたグーの手をパーに開くこと。
そうすれば、モノは、空に戻っていきます。
それを繰り返すのが、片づけ道です。
片づけ道は、否が応でも自分のストーリーと向き合うことになるため、ものすごく深い気づきを得られます。
あえてストーリーをくっつけたまま捨てて、痛みを感じつつ吹っ切れば、メンタルだって鍛えられます。
だから、一度習慣にしてしまえば、捨てれば捨てるほど自分が身軽になっていくという成長を感じられるので、やめられなくなっちゃうんですよね。
そして、「アレ、いつの間にお茶碗洗ったんだっけ?」とか「今日のチラシ、いつ捨てたっけ?」なんてことが起こります。楽ちんです。
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