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どこにでもあるどこかになる前に。/藤井聡子




積読本の中から、藤井聡子さんのエッセイ「どこにでもあるどこかになる前に。」を拝読しました📖´-
(2023年.12.22 読了)





福岡に「里山社」という出版社があります。こちらは清田さんという女性が一人で頑張られている出版社です。
「里山社」のことはなんとなくは知って気になってはいたのですが、お気に入りの書店「本屋 月と犬」さんで購入した「里山通信0号」というZINEを拝読して、「里山社」から出版された藤井聡子さんのエッセイを拝読したいと思いました。
「里山通信0号」の中にあった藤井聡子さんと清田さんの対談、清田さんのエッセイからなんとなく私と通ずるようなものがあるように感じたからです。



藤井聡子さんが志し半ばで30歳を前に東京から地元富山に戻り、奮闘しながら自分という生き方を模索する様が描かれているエッセイでした。
軽快な文章はとても読みやすく、藤井さんが出逢う方々が面白くて愉快な気持ちで拝読していたら、最後の方でまさかの展開に号泣。



私も20代半ばで上京し、結局なにも掴めないまま40歳で福岡に戻ってきました。
福岡に戻って5年。未だに居場所を探している自分がいます。
だからか、本書を拝読しながら藤井さんに共感するところが多くありました。

周囲が望む普通を拒み、自分らしさに執着すればするほど、本来の自分自身からは遠のいていく。




共感するだけではなく、藤井さんが地元で出逢った人々の言葉が私へのアドバイスにも感じ、じんわりじんわり胸に沁みていきました。
そして、私は富山に行きたいと前々から思っていたのですがその思いは益々強くなりました。



富山には元彼(今は親友)のお母様がいらっしゃいます。
このお母さん、元彼と付き合っている頃は関東に住まれていてお正月の度に元彼と一緒に会いに行っていました。
当時はお母様、お父様、お祖母様がいらして、柴犬がいて、行くたびに快く迎えてくれたものです。時には我が家のわんズを連れて行ったこともありました。



ある年、お祖母様が入院された末にお亡くなりになり、元彼と一緒にお線香をあげに行った際にお仕事と看病を両立していたお母様に
「お仕事しながらの看病は大変だったでしょう。お疲れ様でした」
というようなことを私が言うと、お母様は
「お義母さんのこと大好きだったから、一緒にいれる時間があって嬉しかった」
と言われたのです。その言葉で私はこのお母様のことが益々好きになりました。



そのお母様が今は地元富山に戻られているので会いに行きたい。
元彼とは別れてしまい今はただの友人ですが、お母様との縁も大切にしたいのです。
そんな思いもあって藤井さんが富山のことを描いたこのエッセイを拝読したいとも思ったのでした。

「”何者にもなれなかった”藤井が、地方でどう生きるかを正直に綴ることは、きっと同じような思いを抱えている人の力になると思う」

清田さんの言葉





清田さんのおっしゃる通り、福岡に戻って未だになんとなく彷徨う感じのある私の力になり、希望が膨らんだ本でした。
本書を執筆してくださった藤井さん、そして本書を出版してくださった清田さんに深く感謝いたします。



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