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食べること

はじめに。
これから書く文章はやや長めです。それは書き初めの今、終わり方を全く決めていないからです。そしてこれは今、私自身が食欲や食べることに支配されたくないと思い立ち、本日6月8日から新月にかけてファスティングを決めたことを宣言することと、改めて私にとって食べることとは?について整理することを目的にした文章です。





私は食べることが大好きです。

地元である岩手県沿岸部は美味しい食べ物でいっぱいでした。
例えばカキ、ホタテ、アワビ、ワカメ。
加えてありがたいことに、私が学生の頃父は漁師だったので漁で獲ったものを家に持ってきてくれていました。

そんな環境で育つうち、無意識のうちに食に対して関心を持つようになったのかもしれません。

食べることへの執着は思えば小さい時からありました。
子どもの頃好きだったのは綿菓子。
ふわふわとして甘いあの味がなんとも言えなく好きで、しかも一度ハマるとずっとそればかり食べてしまうたち。何度か歯医者に通った記憶があります。
それと芋けんぴ。私の今の体型の基礎となった食べ物です。
小学校高学年のとき、インフルエンザで学級閉鎖になったことで家に閉じこもっていた私はひたすら芋けんぴを食べていたんですね。そうしたらみるみるうちに太っていきました。それまでは比較的細身だったのですが。その脂肪がついたまま中学・高校とバスケ部で鍛えていくうちに筋肉に変わり、パワータイプの体へと成長していきました。

そして大学入学を機に引っ越した北海道。
ここで私は食に関することが好きなんだと確信を持ちます。

1番初めに感動したのはふと立ち寄ったスーパーで買ったじゃがいもの味。
じゃがいもなんてどれも味は一緒と思っていたのですがそのじゃがいもは今まで食べたじゃがいもの中で圧倒的に美味しかったのです。じゃがいもってこんなに美味しいんだと感動して母に電話をしたのを覚えています。

そして大学に入学し、人生で初めてのアルバイト。

勧誘にきていた先輩の明るい雰囲気に惹かれて応募したのは焼き鳥屋さんでした。
そこで初めてお酒を注いだりお客さんに料理を運んだり、作ったり。
包丁さばきもそこで訓練されました。キロ単位のネギを小口切りにしたり玉ねぎをスライスしたり。玉ねぎを厚く切ってしまってお客さんからクレームがあってから、悔しくて何度も練習しました。

北海道にはたくさん美味しいものがあります。
その中でも私がハマったのはスープカレーでした。
素揚げの野菜がゴロゴロと入っていて、ルーのカレーとは違うスパイスの風味。
触れたことのない食材もたくさんあって、道の駅の野菜コーナーを眺めるのはとても楽しかったです。

大学へ進学するということは今まで飲む機会のなかったお酒との出会いもありました。これは私にとって自分のアイデンティティを確立する出来事でした。
親の遺伝か、お酒が飲める体質だった私はお酒を飲むことがとても好きでした。それと、お酒でみんなが楽しくなる雰囲気が。

お刺身には日本酒が合うとか、焼酎の美味しさだとかは大学時代に学びました。そのおかげで今でも食事とお酒のペアリングが大好きです。考えるだけで幸せな気持ちになります。

食べることは私にとって幸せの象徴であると同時に寂しさを紛らわす一つの手段となっていきました。

初めての一人暮らし。
初めのうちは自炊をしたり、節約をしたりと意識は高かったです。そのうちバイトをするようになってから金銭的には余裕が出てきました。夜型の生活にシフトするようになって、買い食いも増えていきました。
いつからかは覚えていませんが、夜どうしても何か食べたくなってどうしようもない気持ちに駆られました。一番近くのコンビニまで行って、お金のことは気にせずとにかくカゴに商品を入れました。帰宅すると一心不乱に買ったものを食べる。その時の頭の中は空っぽです。真っ白で何も考えていない状態。そのうちにお腹が苦しくなっていきます。その時ふと、今食べたものが全て体に吸収されてしまった時の自分を想像して怖くなりました。吐けばいいんだ。まさか自分が吐くなんてと思いながらトイレで吐けるだけ吐きました。これが私の過食嘔吐の始まりだった気がします。

それから就職して、大人になってからも過食は止まりませんでした。
それについては他の記事『こころとからだ』に記しています。

こころの状態が食べることに大きく影響していると身をもって知りました。
過食はピークの時よりよくなったものの完全に無くなったわけではありません。これはこれからも仲良く付き合っていくものだと思っているのでそこまで深く考えてはいません。

先月まで軽井沢でリゾバをしていた時も食べることに脳内が支配された期間がありました。職場で余ったお米を持ち帰ることができたので、ひどい時はおかずも何もないまま冷えたご飯をバクバクと食べたこともあります。

過食モードの時は食べ物を目の前にするとお腹がいっぱいでも食べないと気が済まなくなります。でも結局苦しくなって吐く。口の中に入れた食べ物が異物として感じられたらもう要らないのサインです。食べ物が食べ物として認識されなくなると自分が本当に麻痺しているなと思います。その時ばかりは口の中に発泡スチロールでも入れているのかという感覚になるのでとても不思議です。

食に支配されないためにどうすればいいかはある程度わかっています。

大事なのは環境です。一人でいないこと。一人で食事をしない。人と話すこと。自分の気持ちや考えをアウトプットすること。溜め込んだ思いやストレスを食べることで解消してしまうので誰かと話すことはとても大切です。あとは性格もありますが、誰かが見ていると自制心が働くので食べる量を適量にできます。

その環境を整えるのは一人ではなかなか難しい。
ということもあって今回はnoteにつらつらと綴っております。
頭でわかっていても行動にうつすとなるとなかなか出来ない。

正直、今までファスティングをしようとは全く思っていませんでした。
ですが、5月末ごろはいていたジーンズが徐々にキツくなりこのままだとやばいなという危機感が。(今更感強めですが。)そこで6月の新月に向けてファスティングしよう、とふと頭に浮かんだのです。体をリセットしたいという感覚が湧いてきたですね。それと、今回ファスティングを達成できなかったら今後の人生で何も達成できない気がしてきたのです。

そして6月、東京に戻ってきてから自分の食事と食べた後を観察してみました。
すると、食事の3口目くらいで空腹感は無くなって食べても食べなくてもいい状態になることに気がつきました。3口目以降の食事は食の快感を得るために食べている感覚でした。
あとは一食食べると、食欲が湧いてしまって必要のないものも食べてしまうということ。意外と朝から何も食べずに午前中を過ごすことは苦痛ではありませんでした。何もすることがなく、時間も時間だしとりあえずご飯を食べるかと食事をとると、まだ食べたい、あれもこれもとなってしまうのです。

食事の観察は面白いです。
食に対する感情や自分に必要な食事量を把握することができました。

これは友人からの受け売りですが、自由に選択することができるようになるためにはどうすればいいかというお話です。それにはまずやってみること。目の前にある選択肢を例えやりたくなくても。どちらもできる状態になって初めて自由に選択できる自分になるのです。

というわけで私が食に支配されないためには、食べることもできるし食べないこともできる自分を整えていく必要があります。

食べるということは今の自分が無意識的にしています。
ならば食べないことを無意識にできるようになるために、まずは有意識でやってみるという決心に至りました。

食べることをこれからも幸せの象徴として大切にできるように本日6月8日〜6月10日までまずはやってみます。初めての試みなのでどうなるかはわかりませんが水分と酵素をしっかりと摂って体調に耳を傾けながらやってみようと思います。

どんな体や心境の変化が生まれるかなとワクワクしながら。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

がんばれ!自分!


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