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本当に食べたいもの

先日、次女が初めて家に帰ってこなかった。ここまで手塩にかけて大事に育ててきたつもりだったのに、まさかもう外泊されてしまう日がくるとは……しかしこの苦味も寂しさも娘の成長として享受しなければなるまい。まあ、次女は5歳で幼稚園のお泊まり保育なんですけどね。

次女だけがいない日なんて普段はないので、いつも妹のわがままで我慢させている7歳長女の行きたいお店にご飯を食べに行こうと思った。長女だけなら居酒屋とかちょっといい焼肉とか経験させてみるのもいいかもしれない(次女がいると途中で飽きて「もう帰りたい」と言いだすから行けない)。

「何か食べてみたいものとかある?なんでもいいよ」と聞くと、長女は少し悩んで「すき家!」と言う。「いや、そういうのじゃなくてさ、もっと普段食べれないやつでもいいんだよ?」と言うと「だっていつも行けないじゃん、すき家のお店」と長女が言う。

なるほど。たしかに次女が牛丼を食べないので、長女はフードコートのすき家でしか食べたことがなかった。だからちゃんとした店舗ですき家の牛丼が食べてみたいということらしい。せっかくの機会なのにそんなことで?と思って、はっ……となった。

そういえば、私も小学生の時に同じことを親に聞かれた日があった。1999年7月だった。なんでそこまで覚えてるかというと、ノストラダムスの大予言で「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」という人類滅亡の予言が世間で出回ったからだった。

そしてその時、滅亡前だしなんか食べたいものある?と親に聞かれた私は「ガム!」と答えたんだった。ガム自体は食べたことがあったけど、10枚入りの板ガムを全部一気に食べたらどうなるんだろうと気になっていた。口の中がおいしいガムの味でいっぱいになって、しかも永遠に味が続くんじゃないんだろうか。そんな贅沢なこと普段はできないけど、絶滅しちゃうならやってみてもいいんじゃないか。

まあその結果、でかい塊のガムはめちゃくちゃ硬くてアゴが疲れ、ガムにはおいしく食べれる適量があると知ったのだけど。そしてガムの真実に絶望しながらも世界は続いたのだけど。でもガムを一気に全部食べる時のうれしかった気持ちを忘れていた。私ったら、高いものが喜ぶものだと信じちゃってさ……いかん。嫌な大人になっちまったもんだよ。

念願のすき家のお店。長女はいつも通りの玉ねぎ抜きのミニ牛丼を食べていたけどすごく楽しそうで良かった。あと私が座った席の隣にでっかい石原さとみのポスターがあって良かった。また店舗で食べたいなあと思った。

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