最後の試合で初めて『頑張れ』と叫んだ日。
高校3年間の集大成であった総体最後の試合でなったホイッスルの音は、今でも忘れない。
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私は高校生になって、ひょんなことからやるつもりがまったくなかったサッカー部のマネージャーをすることになった。
正直マネージャーの仕事は、きつさでいうときつくはない。というか、部員に比べればまったくきつくない。だからこそ、私がいる意味ってなんだろうってすごく考えたし、安易に部員に「がんばれ」という言葉はかけられなかった。
そして進学校ということもあり、スポーツ校の人たちと比べると勉強の比重は重いし、その分練習時間が少ないのも当たり前だ。でもそんな状況でも部員たちは、勉強も部活も頑張っていた。
それをみて、ちょっとずつちょっとずつ、部員には少しでも良い環境で練習をし、週末は勝利を一緒に喜びたいなという、サポーター側のやりがいを見出すようになっていった。
サッカー部での思い出を振り返るとありすぎてきりがない。
とびっきり暑い夏は、終礼後一目散にマネージャー室に駆け込み急いで着替え、ほかの部活よりも早く氷を取るための戦いの日々が始まる。
そして冬の日は、寒さと戦いながら水を汲み、総体にむけて折り鶴をひたすらおり続ける。
みんなで行った志布志や長崎への遠征での連戦の日々。
こそっと部屋に集まっておそくまで語った遠征の夜。
毎年バレンタインデーにあげるチョコで想像以上に喜んでくれる部員の表情や、それのお返しでいつもサプライズをしてくれた同学年の部員たち。
うとうとなりながら試合の記録をし、ゴールシーンを見逃して焦ったこともあったし、小麦肌になったあの夏の日々もすべて良い思い出だ。
(朝学校いったら、部員が大量のお菓子タワーを用意してくれてた3月14日)
そして高校2年の冬、私たちのサッカー部は県のリーグで2部から1部に昇格を果たした。それはそれはとても嬉しかったし、みんなですごく喜んだことを覚えている。大学の受験勉強がはじまるため総体が終わったら引退になる私たちは、より一層総体への期待と結束力が強くなった瞬間だった。
高校3年になり、1部でのリーグ戦がはじまった。1部には選手権で全国を目指すチームがたくさんいる。勝てる試合が少なくなっていったし、ときにはコテンパンにやられる日も増えていった。確実にどんどん選手のモチベ―ジョンが下がっていってしまっているのも感じていた。
そんな中で最後の総体がはじまる。
総体初戦。最近の試合とは打って変わり前半で2点入れ、みんながみんなハーフタイムには笑みもこぼれており、だれもが勝つとおもっていた。
そんなムードの中、後半はじまって10分ほどたったときに、1点入れられた。その1点が予想以上にみんなの焦りを助長し、立て続けにもう1点入れられた。そのあとの記憶はあまりないが、気づけば3点目も入れられていた。
試合残り5分。ドリンクの準備なんか忘れて、私はひたすら部員にむかって「頑張れ」って大きな声で叫んでいた。
そして、ホイッスルが鳴った。負けた。
正直だれもが予想していなかった結果に呆然と立ち尽くす部員たち。自然と涙が流れ、気づけば2時間みんなでただただ泣き続けた。とっても悔しかったし、それ以上に部員は悔しかったと思う。
ただ、それでもみんなが最後に伝えてくれた「ありがとう」「マネージャーがあなたでよかった」って言葉は、今でも忘れない。
そして、私の『「頑張れ」って叫ぶ声が聞こえて、最後まで走り切れた』といってくれた部員の言葉も一生忘れられない。
最後がどんな結果であれ、マネージャーとして入部したあの3年間のサッカー尽くしの日々は、灰色だった私の高校生活をバラ色にかえてくれた大事な時間だった。
ありがとう、このサッカー部でマネージャーができて幸せでした。今もみんな、それぞれの場所で頑張ってるかな。
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