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Z世代の私が、clubhouseを使ってみての所感。

※あくまで個人の意見です。優しい気持ちで読んでいただけると...

最近流行っているclubhouseって、資本主義社会の見えないヒエラルキーみたいなのが、否応なく可視化される設計になっている気がする。
具体的には3層に分けられると考えていて、1層目はスピーカー(発信源)、2層目はその周囲の人々(消費者)、3層目はその他大勢(消費者)に分類される。

自分は自分のやりたいようにやればいい、他人の評価なんて関係ないと思っていても、この世界の住民になると、有名人や起業家が成功であり、正解なんだ、って錯覚する感覚を覚えた。
そして2層目までに自分が属していると、なんとなく自分の価値が高く感じ(感じるだけ)、承認欲求が満たされる気がしたのも否めない。

そして、ビジネスになにかしら繋げたいとギラギラしている大人をみて、結局生きている限り、お金を生み出し続けなければならない資本主義の世の中からは抜け出せないのか、と虚無感とやるせない気持ちを抱いた。

特に違和感を覚えたのは、「無音で相互フォローしよう」ってROOM。
なにを目的として、フォローしあうのだろう。
もしそれが繋がっている安心感を求めているなら、確実に偽の繋がりであるし、もしそれが他人からの承認を得られたと思うのであれば、偽の承認だと思う。
私的には、このROOMの存在はあまりポジティブではない感情が根底に存在するなと思っている。虚構であるSNSの中で承認欲求が満たされ、満足する人生にはしたくないなと思った。

clubhouseを作った設計者は、どのような世界線をつくりたくて、このSNSを生み出したのか少々分からなくなってしまった。
コロナという環境のなかで、より工数や手間をかけることなく、より多くの人との繋がりができることはメリットだと思う。
そして、まだまだ私の知らない世界や社会があって、世界はとてつもなく広いんだなと実感できたのは良い気がする。
しかし、資本主義社会の中での弱肉強食戦争を助長させるだけな気もするし、承認欲求を満たす虚構社会が生み出されただけなのではないかと思った。

結局こんな感情も、ただの一般人のしょうもない発言と言えばそうだし、じゃあ発信する側に回れよって話であるんだけど、なんとなく違和感を感じる自分もいるし、結局自分の殻から抜け出せないだけといえば、そうなのだと思う。

本当にただの、私のclubhouseをやってみてのモヤモヤと感情をかきなぐってみた。
結局なにがいいたいか自分でもわからないし、clubhouseをただの1コンテンツであり、虚構を楽しもうみたいな気持ちでフランクにやればいいんだとも思う、それだけの話でもある。

ただ最後に。
自分の中の憧れと嫌悪の対象が一緒であるってこともわかった。なぜ、憧れと嫌悪の対象が一緒なのかはまだ分かっていない。

なんでだろう。

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