見出し画像

【#7】7人との出会い⑤過去の職場の大先輩

前回の記事


四方八方に飛び散ったブログのバタフライエフェクト、ついに仕事となって返ってくる


「やまちゃん(私の旧姓は山田なのでやまちゃん)、今仕事してないの?良かったらウチのWEBメディアで記事書いてみない?」
 無邪気なブログは悪。とお𠮟りをいただいた後にこんなメッセージをもらった。鉛のような重たい気持ちでブログを書いていたのが、急に晴れやかになった感じがした。発信は何が起こるかわからないし怖いけれど、確実に変化を起こしてくれるもんなんだ・・・とつくづく思った。
 連絡をくれたのは、私が営業として働いていた時、コピーライター部門長をしていたHさんだった。彼は陽気なおっちゃんで、上司にこっぴどく叱られ、つけまつげが瞼に宙ぶらりんになっている私を見て爆笑しながら「やまちゃんってホントおばかねぇ」なんて言いつつフォローをしていただいたありがたい存在の人だ。当時そのHさんも転職され、会社でWEBメディアを育てており、ライターを探しているんだ~とのことだった。
 
 「報酬はたくさん出せないけど、書いてくれた内容をちゃんと添削するし、実績の代わりになるんじゃない?」

 無職の私にはありがたすぎる内容で、2つ返事でやりますと答えた。メディアも2~30代の働く女性のためのものだったので、それなら書けそうかも!とワクワクした。


プロフィール用に撮った当時の写真

無職、ライターデビューする


 そこから私はみっちりと「ライティング」を学ばせてもらうことになった。出した記事を添削してもらい、文章の整合性や表現で気を付けることなどを教えてもらった。自己流でブログで自由に書くことも楽しかったが、プロの添削を受けながら、どんな表現をしたら少しでも面白くなるかな?と工夫するのは大変だけれど楽しいものだった。たった1200文字の原稿を書くのに、はじめは4時間以上かかったうえに、今読み返すとちょっと恥ずかしいものもある。


 けれど、その時の私は必死だった。だって「無職」が「メディアで記事を書いているライターです」と言えるようになったのが心底嬉しかったから。私にもやっと社会に居場所ができたよぉ!!!自分が何者かを言える肩書ができたぁ!と、ほっと安心したのを覚えている。まだまだ自分で居場所を作るなんてことはできず、とにかく些細なチャンスを絶対に逃すまい!!という気持ちだった。


 そして月5本の記事の執筆を1年ほど続けた頃には、1時間ほどで記事を書けるようになり、またYahoo!などのポータルサイトに転載された記事がランキングの上位に上がることもあり、とても嬉しかった。
 このまま教えてもらってばかりじゃだめだなと思い、しばらくして自費でライター養成講座にも通った。ライター養成講座の学びはとても質が高くて、たくさんの人に出会い、今でも友達として付き合っている人が何人かいる。これを機に私は「発信」の魅力にどっぷりとハマった。自分のことを書くのは怖いけれど、同時に素晴らしい出会いを起こしてくれる底力を感じるには十分な出来事だった。
 


読んでくださり本当にありがとうございます。サポートしていただけるとその分うれしさの極みで、調子に乗ってどんどん記事を書き始めます。ぜひお願いします。