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すごい呼吸

今日は、呼吸DOJOの日。
呼吸DOJOとは、呼吸を通じて自分の在り方、生き方を継続して終わりを決めずに学び続けているクラスのことで、固定のメンバーで、一緒に学んでいて、わたしは、今、2年半くらい継続している。
コーチの真美ちゃん曰く、「沼にハマった人たちのためのクラス」とのこと。
(↓真美ちゃんのインスタグラム)

今日は、「すごい」を連発してしまった。
すごいとしか言いようがなく、つい「すごい」と言ってしまって、もう最後の方は、笑ってしまうくらいだった。
呼吸の探求は、呼吸・整体と言う森田敦史先生が考案した、呼吸法を使って行っていて、その中に、「腹部疎通法」と言うのがある。これは、けっこう基本のパターンで、呼吸DOJOが始まってすぐくらいからなんどもやっている。なんどもやっているのだが、いつもなんかよくわからなくなってしまって、呼吸・整体の型自体は他にもたくさんあるので、自宅での自己修練で違うのをやってるうちに、忘れてしまう、みたいなことが、わたしにはよくある。「忘れないように、たまには通してやってね」と真美ちゃんからは言われているのだけど、苦手意識があるとやらない、みたいなことはよくある。

前は、そういう時になんとかやってないことがバレないようにごまかそう、としていることが多かった。やっていないことは恥ずかしいことだし、自分がやろうと決めてやっていることなのに、やっていないなんて言い訳にもならないし、と自分を責めてしまうというか。それに正直に「やってません」というと怒られたら嫌だし、というのも大きくて、ごまかすことを必死でやっていた。

でも、この呼吸DOJOは、「ありのまま」を体現するためのクラスなのに、ごまかしてたらぜんぜん「ありのまま」じゃないじゃん、ということに気づき、やってないことをやってない、と言えるようになった。
そして、今日は、「腹部疎通、わたし、忘れてます」と告知した(笑)
そういう時、真美ちゃんは絶対に怒ったりしない。不機嫌になったりもしないし、本当にすぐ受け入れてくれるというか、懐の深さを感じるというか、とにかく、なんの圧も感じない。わたしにとっては、絶対の安心感を感じる人である。そして、淡々と、「じゃ、それやりましょうか」といって、始めた。

そうは言っても、完全に忘れているわけではなくて、体が覚えていてくれるのもあるし、人のやってるのを見たらすぐ思い出して、ああ、これこれ、という感じにはなる。
型通りやるだけなら、ぜんぜん、簡単な動きで、誰でも少しやればできるようになる。ヨガでよくある、すごく難しいポーズみたいなものでもない。
だから、言われたとおりにやってみるとすぐできるのだけど。
今日は、もう内側で起きていることがぜんぜん違ったのである。
すごかった。
すごいの。
ほんと、呼吸すごいよ!!!
こんなことが起きてたのに、今までまったく気づいてなかった!!!
ユリイカ!!!!

というようなことが、わたしに起きた。
同じく、一緒にやっていた仲間にも起きていた。
真美ちゃんが前に言っていたことは、こういうことか!という肚落ちも半端なかった。
いや、言葉としては理解してたんだけどね!理解ってぜんぜん違ったよね!みたいな。

下腹部が一番凹む場所を探す、という非常に地味で単調な動きをやっている時に、ものすごい気づきが次々に起きて、ああ、ほんとすごいなー!と感動した。涙が出ていて、何が起きたかちょっとわからなかった。
はたから見たら、ただの変な人である。
実際自分でもおかしい、と思った。泣く意味がわからない。

しかし、一緒にやってる仲間たちは、この泣いちゃうくらいの感動をわかってくれた。
この感動を分かち合える仲間がいる!!!
このよろこび。
一緒だから続けてこられた、というのも本当にある。
一人だったら、ここまで続けられなかった。

だいたい、わたしは何事も、やり始めるのはいいけど、停滞期に入ると飽きてしまって、するとなんか新しいものに手を出し始めて、そっちに行って、またぐるぐる同じような停滞期に入る、というようなことを繰り返していた。
この呼吸DOJOも、途中でもう辞めようかなーとか、おやすみしようかなーとか思ったこともなんどもあったし、これをやっていてもわたしにはダメなんじゃないか?と疑ったりした時期もあった。
だけど、不思議とこれは継続していて、それはやっぱり、一緒にやっている真美ちゃんやその仲間たちの存在が大きいって思う。
真美ちゃんはだいたい、積極的に取り込もう!みたいなことはしない。やりたいって言ったら真剣にやってくれるし、寄り添って見守ってくれるし、自分自身もずっと探求の手を緩めずに続けている人だから、とても信頼できる。だけど、やめるって言ったら、強く引き止めたり、説得したり、この呼吸についてこんなに良いものだとか力説したりしない。やめるって言うことが言いにくいとかもない。だから、返って、やっぱりわたしはこれは続けたほうがいいかな、と言う思いがわいてきて、続けてこられたのかもと思う。
一緒に続けてきた仲間たちも、呼吸のこと以外でも相談に乗ってもらったり、自宅での自己修練ができなくて、今日はこんなことやったとシェアしたり、励ましあったりしてきた。でも仲良しサークルとも違って、一緒にやらなきゃ!みたいな圧力は一切なくて、居心地がよかった。女性ばかりの仲間だったことも、わたしにはたぶん必要で、前にも書いたけど、どこか胡散臭いと思っていたけど、ここでもやっぱりシスターフッドに守られていたのだ、と感じる。


そして、何より、やっぱり、呼吸は正直だった。
呼吸DOJOで呼吸調整法や、身体のことや意識のことを探求しているとき、同じ型を同じようにやっても、わたしと仲間とでは微妙に違ったりして、そのフィードバックをもらうと、それは呼吸のことだけじゃなくて、普段の生活や考え方や、自分の扱い方に全部通じていた。呼吸は嘘をつかないんだ、と思った。自分はできているつもりでも、一発で見抜かれたし、人のも見るとそれなりに見えてくるものがあった。わたしは、意図の持ち方がわからなかったけど、呼吸を通して、意図をもつと言うことがどう言うことなのかを体感で理解した。感覚が嘘をつく、ということも、呼吸が教えてくれた。その感覚を取り戻す、というのも呼吸からやるのが早かった。
そのことが自分への信頼になっていったと思う。

そして、そうやって、継続してきた結果、今日、初めて観えた、というか気づいた領域があり、ああ、これを発見してシェアしてくれてありがとうございます!とちょっと拝みたいような、ありがたい気持ちがわいてきた。
そして、それと同時に、ああ、もうわたしの存在は赦されている、と思った。変な話だと思うけど。

やればやるほど、気づきがどんどんあって、今日はもう、コーチそっちのけでどんどんやってしまったりしたけど、本当に面白い。
まだまだどこまでも続く探求の旅なのだけど、こんな発見があるなら、やっぱり続けて行きたくなるよなーと思う。
終わりなき旅を楽しもう。

そしてやっぱりこの叡智を、分かち合って一緒にやっていく仲間が増えたら嬉しいし、この喜びをシェアしていきたいなーと思った。
わたしたちは、呼吸しているだけで、世界にインパクトを与えているのだから。

ちなみに今日のタイトルは「すごい呼吸」というタイトルの本から。森田先生のパートナーの愛子さんが出してる本です。ほんと、不調も少なくなったし、ぐっすり眠れるようになったし、体も変わるよ。


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