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【364/1096】身体が勝手にしてくれていること

364日目。今日はまだ火曜日だと家族に指摘されるまで、水曜日だと思い込んでいたのだが、なぜかゴミ出しは火曜日のものを準備していた。なかなかの感じね!


自分のことが大事にできない、自分を愛せないと悩む人は多い。
かつて私もそうであった。
しかし、究極は、大事にできないなら、愛せないなら、「自分を大事にしない、愛さない」を徹底的にやってみたらいいのではないか?と思ったりしている。

自分を一切大事にしない。
自分を一切愛さない。

大事にしないので、お腹が空いても食べさせない。
食べさせたとしても、餌か残飯のようなもので十分。おいしいものなど一切口にしてはならない。
愛してないので、寒くなっても上着は着せない。
冷暖房など無駄だから使ってはいけない。
身体がつらくても絶対に休むことは許さない。
トイレに行きたくなっても、決まった時間になるまで行かせない。
何か失敗をしたら、廊下に立って両手をあげ続けさせる。
愛してないので、着替えなど贅沢だ。ずっと同じ服でいろ。
大事じゃないから、きれいにする必要ないので化粧もしてはならない。
肌が乾燥してもクリームを塗ったりしないこと。
などなど。

やってみたらわかるが、自分を大事にしない、愛さないことなど到底無理なのだ。
本当に難しすぎてできない。
というか、もうずっと大事にしてるし、愛してるよねと気づく。
大事にできない、愛せないなどということはあり得ないのだと気づくことができれば、たとえそれが湧いてきても、「あ、それ嘘でした!」ってなる。

そして、むしろいろんなことに感謝しかわかなくなってくる。
特に身体。
身体がどれだけ勝手にいろいろやってくれていることか。
文句も言わず、ずっと健気に。
それを本当に実感すると、ひれ伏して謝りたくなること請け合いである。
私は号泣した。

生まれてからこのかた、
ずっと呼吸してくれている。
ずっと心臓を動かしてくれている。
ずっと食べ物が入ってくれば消化し、吸収して、排出してくれている。
ずっと感じ続けてくれている。
もしも、それが身体がしてくれていなかったら、生きていないのだから。

本当に自分を大事にできてなかったら、自分を愛してなかったら、
今、生きてるはずがない。
大事にしたから、愛していたから、今生きて、この記事を読んでいるわけで。

敢えて言うなら、息をしているということは、自分を大事にしているということである。
息をしているから生きているのだから。

身体が勝手にしてくれていることに、どれだけ気づけるか?
どれだけ耳を傾けてるか?
それがそのまま、人が自分にしてくれていることにどれだけ気づけるか?
どれだけ人の声に耳を傾けられるか?
に直結している。

もちろん、無自覚にそれをやっている人もいて、そういう人はある意味天才なわけであるが。
「大事にできない」「愛せない」という自覚で今まで生きてきたならば、それは直結案件で間違いない。

というわけで、自分を大事にできないと思ったら、ぜひ、自分の身体が勝手にやってくれていることに、想いを馳せてみて。

では、またね。


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