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【811/1096】大事にしてもらいたいなら

最近観た映画で、印象的なセリフがあった。
印象的と言いながらおぼろげな記憶だが
「彼女に大事にしてもらいたいなら、彼女が一番大事にしているものを大事にしてやれ。自分が一番になろうとするのではなくて」
というような内容だった。
これは、ものすごくいいなと思った。

自分を一番大事にしてもらいたい、というひそやかな願望を持つ人は多い。
多くは満たされなかった幼少期の願望をそのまま持って、大人になり恋人にそれを求め、それを得られずに絶望する、というのはあるあるパターンだ。
もしくは物語、空想の中では、自分を一番に思ってくれる人が登場して、それに現を抜かす。

しかし、自分を大事にできない人間は他者を大事にすることはできない。
本当の意味では、自分を大事にした分だけ、他者を大事にできる。
自分を大事にするとは、自分を優先しているとか、自分勝手とか、わがままとか自己主張をするとかそういうのとは全く違う。

自分で自分を満たしている、ということ。
自分の満足を知っているということ。
自分で自分のニーズを知っていて、自分で自分を満足させることができるということが自分を大事にしているということだ。
そうして、他者が大事にしているものを大事にするということができる。

自分を大事にしないで、他者が大事にしているものだけ大事にしようとすると、自分がすっぽ抜けるので、他者に依存することになる。
この場合、他者は自分の大事にしているものを大事にしてもらえることは有難く(?)思うかもしれないが、依存されるのが重くてかなわない。
逆に、自分のことだけを大事にしているというのは、なんというか、あり得ない。これは、それこそ、自分勝手、わがまま、自己愛、みたいなもの。
それは、本当の意味では自分を大事にしていないので、自分のことだけを大事にしているというのは存在しない、としか言いようがない。

自分のことは自分で決める。
自分で決められないことは、自分に出来ることを精いっぱいして後はゆだねる。

自分のことを相手に決めてもらおうとしていることに気づいていないでそれを配慮とか謙遜とか気遣いと勘違いしていることがある。
もしくは、配慮とか謙遜とか気遣いとかいう名目で、相手のことを決めようとしていることもある。

自分のことは自分で決める。
相手のことは相手が決める。

自分で決めたとしても、すべてが自分でやれることではないこともある。
そのときに相手に助言を求めたり、助力を求めたりするのは相互依存である。自分がやれることとやれないことがわかっていて、相手もそれに合わせて相手がやれることやれないことをすり合わせる。
けれども、相手に自分のことを決めてもらうために助言を求めたり、助力を求めたりするのはただの依存で、この依存は健全なコミュニケーションを生まないし、脳が混乱を極める。
そして、ここが混乱したままになってしまうと、考えることがぐるぐるしたり、頭まっしろになったりする。

大事にしてほしいなら、自分で自分のことは決める。
そして、相手の大事にしていることを大事にする。
ということだ。

ちなみに、自分で自分のことを決めるときに、息がとおるかどうか?が自分に適っているかどうか、自分を大事にしているかどうかということだと思っている。
だから、息で決めればよい。

息で決めるがわからない人は、練習して身につけることができる。

では、また。





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