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【456/1096】てぶくろをさがしに

子がてぶくろを無くした。
バスに置き忘れたのが濃厚だったが、もしかしたら電車に乗った時に忘れたかもしれない、と言う。
年中の頃から使っているてぶくろで、愛用していた。

もうそろそろ小さくなってきていたし、買いかえればいいのでは?と内心思ったが、子はかなりショックを受けていた。
何度もポケットを探し、私のバッグの中を探し、ないとわかると怒り出した。
「お母さんに持っててって言った!」
とか、
「ママがちゃんと持っててくれればよかったんだよー」
とか、
理不尽に人のせいにする言葉を投げつけだした。

イヤな気持ちが身体の中に充満して、それが処理できていないとこうなる。

こういうとき、以前だと
「てぶくろが無くなって、イヤなんだね」
と共感していた。

しかし、これをやっても、経験上、怒りがおさまることはない。
優しく声をかけられると怒りは増すのだ。
「ママのせいだ!」と怒声を出してこられたりすると
「そうか、そうか。ママが預かっておけばよかったねえ」などと言っても、火に油を注ぐようなものなのである。

よく考えればそりゃそうだよ、と思うのだが、以前は優しい言葉をかけるか、それができなくなると逆切れしてこちらが怒りだしてしまうかであった。
実のところ、大人が本気出して怒れば、子どもは引く。
危険を感じて、自分の中にいったんおさめようとする。
でも、それはおさまらないので、どこかでまた爆発するのだ。
すごく前のことを引き合いに出して怒ったりする。
子どもは覚えてないなどということはない。

つまり、大人の私が怒りを出すと、イヤだを押し付け合って、子どもに引き受けてもらっていることになる。
だって、こっちは子どもが怒っているのがイヤなわけで、子どもが怒っているせいで、イヤな気持ちになったとすら思っている。だから、怒るわけだ。
「こんな気持ちにさせて!どうしたらいいというのだ!」と。
そして、どっちが子どもかわからないやり取りになる。
小さな子どもに、不快を引き受けさせて溜飲を下げているようでは大人ではないわけで、大人は自分の不快を引き受けたうえで、子どもの不快を解消できるように手助けするのが役割なのである。
難易度、高っ・・・!

さて、そういうとき、どうしますか?

最初のイヤな気持ちからフォーカスをずらさないことである。
「てぶくろがなくなったからイヤな気持ちになったんだね」
のみである。
何を言われても、それのみ。
その他は、不快がおさまってから対処すればよいのだ。

ほかは八つ当たり&イヤな気持ちをなんとかするための解釈だから、そこを取りあったらだめなのだ。
どんどんフォーカスがずれる。
ズレた先のこともイヤなので、イヤが解消するよりも増大するほうになってしまう。
イヤだの気持ちをおさめたいのに、イヤだを増大させてしまうのである。
そばに居る大人は、敵になっても従順になってもいけない。

そして、一番大事なことは、子どもが不快なその間中、存在をずっと切らずにつながりつづけていることである。
そばにいる。ひとりじゃないことを感じてもらう。

そのことに気づくまで、かなりの時間を要したが、これに気づいてからはここを絶対に外さないようにしている。
これを徹底すると、子どもはおさまりが早い。
長くても数十分でおさめる。
イヤな気持ち、感覚のおさめかたを学んでいるわけなので、自分なりのおさめ方を体得する。

ちなみに不快が大きい場合は、子どもはイヤな気持ちを循環させるのに、身体が小さい(脳神経系も育ってる最中である)ので、少し発散させることを許可しておくのが必要なことも多い。あらかじめ決めておくといい。
枕をたたくでも、ボールを壁にぶつけるでも、身体を動かして発散させる。ジャンプするのでもよい。
安全に発散させる方法を考えておく。その子なりの発散の仕方がある。

子は、ふてくされて、牛歩したり、ジャンプしたり、ジャンバーをバンバンやったりして、てぶくろがなくなったことに悪態をついていたが、
「てぶくろがなくなったからいやだったね」
とフォーカスしていたら、家に辿り着くころにはおさまった。
私も、淡々と、てぶくろ無くしたことの不快さがおさまるまで待てばよいだけなので楽だ。

そして、
「忘れ物しているか、確認してくれる?」
とおだやかにお願いしてきたので、快く了承する。

バス会社に問い合わせたら、保管してあった。
取りに行って、ちゃんと手元に戻って来た。
満面の笑みであった。
よかったね。

では、またね。


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