ぷくぷくの手
ムスコくんの小さな手のくぼんだところがすごく好き。
ぷくぷくで、柔らかくて、まだちょっと赤ちゃんの余韻が残っている。
くぼんでるところをみるたびに、
すごくすごく愛おしい気持ちになる。
こんなに可愛い手を眺めることができて嬉しい。
触ると、プニプニ柔らかくてすべすべしていて、
食べちゃいたいくらいかわいい、と思う。
ムスメさんの手は、もう赤ちゃんの余韻がなくなっていて、
少女らしい感じが出てきている。
すらっと伸びた指に、キレイな形の爪が並んでいて、
これはわたしの遺伝ではない手だなと思う。
そして、この子の手が、この手でよかったなあと思う。
ムスメさんは、バレエをやっているのだけど、
お友だちから、「手がキレイ(手の動きのこと)でうっとりしちゃう」と言われていた。
優雅で可憐な手だ。
わたしは子どもの頃から、「おばあちゃんの手みたい」と言われて、
しわくちゃの手で、爪が小さくすぐに割れるし、
自分の手が好きじゃなかった。
今は、まあ、この手もよく働いてくれて、器用に動いてくれるので、
助かったなあと受け入れている。
でも、見た目が大好きか?と言われると、Noである。
だけど、子どもたちは、この手を丸ごと愛してくれる。
「ママの手はかわいいね」と愛でてくれるのだ。
こんなことは人生で一度もなかった。
すごいなあと思う。
褒めてもらって、調子に乗って、
「ママの手は、関節のところで肉がつまめるんだよ!」と立ててみせる。
(これ、できない人の方が多い笑)
子どもたちは大喜びだった。自分もやってみせたくて、なんどもつまむので、「これはママくらい硬くないとできないから、キミたちの柔らかい手では無理なのよー」と説明する。
そして、なんどもママの手でやって、大笑いした。
ああ、なんとくだらなくて、まったく生産性のない時間。
だけども、こんなにもしあわせな時間があるだろうか、と思う。
芸術家を父に持つ友人がいて、
お父さんが亡くなった後に、写真を見せてくれたことがある。
3歳の彼女と、お父さんの手が写っていて、
手を繋いで階段を昇っている写真だった。
彼女は
「このとき、もうお父さんとすごい大笑いしてたことだけ鮮明に覚えててさー。お父さんとは、もうこれだけでいいんだよね。これがあるから大丈夫って思ってた」
と言った。
小さい頃は、あまり家にいなくてほとんど交流がなかったお父さんだったそうだけど、この写真のときのふたりで大笑いした記憶があるから、それで十分だったと。
もうなんで笑ったかは覚えていなくても、
一緒に笑った記憶があれば、だいじょうぶ。
そういうのは、すごくいいなと思った。
子どもたちが覚えているかどうかはわからないけれど、
わたしもこの大笑いした記憶があるから
もうだいじょうぶ、
と子どもたちと離れた後にも覚えているだろうなと思う。
たいへんなことばかりを記憶してしまうより、
バカバカしくて、くだらない、楽しく、嬉しかったことを
たくさん覚えていよう。
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