【338/1096】観えるものが変わる
338日目。ずっと運動が苦手だと思っていたのだが、実はそうでもないかもしれない。やってみたら、簡単にできたりしてあれ?ってなる。
観えるものがだいぶ変わった。
「感覚は育てるもの」と、自分の感覚を指針にするのではなくて、呼吸を指針にして動くというのをここ数年やってきた。
最初は、その呼吸すら相当怪しかったが、まあ、それ以外に基準にできるものがなかった。
私は、簡単なものは信用ならんという癖がどうやらあって、
簡単なこともいったん難しくして、それを何とか解読してから身につける、みたいなことをしてしまっていた。
そのせいで、けっこう迷宮入りしつつも、
「そっちじゃない、こっち、こっち」と道案内してくれる人がいたおかげで、ようやく本道に出た、って感じ。
この本道に出た感じが、また、なんというか、もともとここでしたよね・・・みたいな感覚である。
観えるものが変わった、感覚が変わった、と言うのもなーみたいな気もするのだが、これもう忘れちゃうな・・・と思うので、せっかくだから書き留めておく。
と言いつつ、実のところ、もうほとんど忘れている。
(忘れる、というのもちょっと違う感じがする。。もともとそうだったと言う感覚なので、前のものは思い出せないみたいな感じ?)
目が悪い人ならわかると思うが、
新しい眼鏡をかけて、ごく最初は、すごく見えることになじめない感覚とか、見えて嬉しいとかあるけど、2~3日したらもうそれが当たり前になる。もっと早いか。
それ以前にどんな見え方していたか、思い出せない。
そういう感じ。
なんであんな苦しかったんだっけ?
なんであんな動けなかったんだっけ?
なんでこれがわかんなかったんだっけ?
そういう感じ。
そして、前はどうだったか?が全然思い出せない。
新しい感覚がすぐなじむのか?と思うが、
これがまた、すぐなじんでいる。
そして今まで気づかなかった違和感にすごい気づく。
その違和感を放置するのが、すごくすごくイヤだ。
かつてこんなにイヤだと思ったことはない、というほど。
なんかいろいろ他も変わっている。
観えるものが変わったというのは、例えば、前だったら、この記事読んだら、こういう風にしか読めなかったなというのが、それ以外の文脈が読めるようになった、みたいな感じ。
あとは、反射反応が減った。
反射反応は、コントロールできない。
反射をなんとかしようとするのは、雨が降っているのを悩むのと同じだと言われたのだけど、本当にそのとおり。
なんとかしようとしてはいけない。
そして、別になくならない。
人間に必要なものなので。
ただ、不必要に反射していたものがなくなっただけ。
だからと言って、絶好調で、すっごい落ち着きがあって、穏やかで、いい感じです!というわけではない。
ただ、まあ、あるものがある、というだけである。
なんかまあ、むしろ、今まで感じないようにしていたものもダイレクトに全部感じるようになったので、えーって感じもある。
でもまあ、たぶん、これが生きているということだ。
より生々しい実感。
血肉になった、みたいな。
血肉になったらそれで終わりじゃなくて、これがずっと更新し続ける、循環し続けるものになる。
でも、これ、特別、喜びとかではない。
終わりなく、ずっと続くものだし。
土が変わった。
そこに育つものはなんだろう?
どう育てていこうか?
そんな感じか。
では、またね。
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