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【240/1096】呼吸とはなにか?

240日目。今日は、約1年間かかわっていたプロジェクトが仕舞った。振り返りをして自分がこの1年、何をしていたのか?が明確になった。土壌を耕していたのだ。安直な方法ではなく、手間暇かけて。それができたのだという自信になった。振り返ってみてよかった。


最近、「呼吸、やってるんですよね?」と声をかけられることがある。
呼吸のワークのシェアをしたり、呼吸ワークを使った継続クラスをやったりしていて、それが認知されてきたおかげ?!か、そのように声をかけていただくのだろうと思う。

でも、よく考えると、変な感じだ。
「呼吸、やってる」っておかしい。笑
生きていれば、全員、呼吸はしているので。

そして、私が伝えているワークは、呼吸法を伝授するとか、肉体改造して呼吸しやすくするとか(そういう面がないわけではないが)そういうものでもない。

呼吸・整体のスクールに入った時に、森田先生から
「呼吸・整体の学びは、呼吸ではない」と言われた。

呼吸・整体の学びは、呼吸を通して、肉体、意識、あり方のすべてを最適化していく、ということである。

うつ病になってから、精神をなんとかせねばといろいろなことをやってきたが、その頃私に一番よかったのは瞑想だった。自分の精神が落ち着くなと思っていた。
でも、瞑想はかなりムラがあり、なかなか自力でよい状態に持っていくことが難しかった。(今思えば、ちゃんと瞑想できていなかったからだが・・・)
そして、瞑想していい感じになったり、リトリートに行って合宿して自分の精神状態をいい状態にできたりしても、それをキープすることができなかった。

そうか、私には基準がなかったのだ!と気づいた。

私は「あり方を変えたい」と思っていて、しかし、あり方とはかなり抽象度が高く、言語で説明がしにくい。
そのころ「肚で生きる」「肚である」と概念を手に入れていたのだけども、それを具現化するツールを持っていないと言う感じだった。

呼吸・整体は、その具現化するツールを与えてくれた。
それが、身体動作と呼吸である。
自分にとって最適な状態にするための、具体的な技術があるということだ。
やればそうなる。

息が止まっている、息が浅い、息が荒いというのは、誰でもわかる。
他の人を見ても一目瞭然である。
むしろ、私は、自分の息があがってることに気づかなかったりしていた。
それがあまりにも日常すぎて。

呼吸の状態で、今の自分の意識状態を見るのである。
どこまで解像度上げて見られるようになるかは、自分次第であるが。

だから、呼吸と言っても、、、呼吸をやってるわけではないのである。
呼吸によって、自分の最適なありようで調和して生きるということをしている。

初心忘るべからず。
ただし、「呼吸によって、自分の最適なありようで調和して生きる」には終わりはない。

では、またね。








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