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【354/1096】人と人とが出会うということ

354日目。なんかスケジュールが抜けたり、曜日感覚がおかしいなあと思っていたのだが、水星逆行中だった。ここだけ顕著に星の影響を受けている。(いつもどおりかもしれない)


昨日、オンラインでの「であい授業」に参加して、いろいろ思ったことがあるので書いておこうかと思う。

であい授業プロジェクトは、

「障害」を知るんじゃない。「人」を知るんだ。
私たちは、知的障害の当事者である人が講師を務める出前授業と、その手法の普及に取り組んでいます。

https://www.facebook.com/deai.jugyo/

ということで、岩手県のるんびにい美術館の作家でヘラルボニーのデザイナーでもある知的障害を持つ小林覚さんを講師に、るんびにい美術館のアートディレクターでしゃかいのくすり研究所の板垣崇志さんがファシリテーターをつとめ、中学校に出前授業を行っている。

ヘラルボニーの覚さんのデザインはこちら。すごく素敵なんです。

であい授業の様子がニュースになっているもの。

るんびにい美術館のブログにいままでのであい授業のことが書いてありました。2016年からスタートしたそう。

現在までに、63回実施されているとのこと。

オンラインでの開催は、8月に続いて2回目。前回どうしても都合がつかず参加できなかったので、ワクワクしながら参加した。

まず、板垣さんが、「今日は覚さんがどういう人なのか?を知る授業です」と言って授業が開始された。

覚さんに、「今まで何回授業やったんだっけ?」と聞くと
「2回」と答えていたけど、板垣さんの記録によると63回とのこと。
覚さんは、話をするとき、身体のどこかを掻いていてもらいたいようで、板垣さんはずっと覚さんの身体のどこかしらを掻いていて、なんだかそれがホッとする。

覚さんがどういう人で、どんな風に過ごしてきて、何が好きで、どんな痛みを持っているかということが、語られる。

とても印象的だったのは、板垣さんがるんびにい園に
「ともだちはいますか?」と聞いたら
「ともだちはいません」ときっぱり答えた覚さん。
でも「楽しいです」と。
板垣さんは、「最強ですね!人間、かくありたいですね」とおっしゃっていて、聞いていたわたしたちは笑ってしまったけれども、でもなんか核心をつかれたような気がした。

覚さんが楽しいのは「絵を描いているとき」だそうで、覚さんの絵は、文字(数字)なのだそう。
不思議な独特な文字を書くようになったのは中学生のときで、国語の先生をはじめとして、なんとか普通の文字を書けるようにと教えたらしいが、うまくいかず、
「このままでいいのでは」となって、今の覚さんの作風ができてきているとのことでした。

ご家族の語る覚さんが映像で流れて、覚さんが愛されて、大事にされて育ったんだなあということが感じられ、お互いを思いやっている関係性が伺えた。

板垣さんと覚さんの関係性がお互いを尊重されていて、とてもいいなあと思った。
板垣さんのことが好きか?という質問に、「板垣さん、好き」と素直に答えている覚さんが素敵でした。

第二部は、板垣さんが、このであい授業をやろうと思ったきっかけの物語。

自分の差別意識、排除意識に気づいたときに、それを埋めるものはなんだろう?と考え抜いて、「人と一人の人として出会うということがない限り、変わらない」と思い、るんびにい美術館で展覧会を始めたとのこと。

人が人を知る。
出会ったとなるのはどんなときなのか?

これを考えぬいて、であい授業が構成されていて、すごく共感した。

今、目の前にいる人を大切にする。
この人は、ダメな人とか、すごい人ではなくて、今、自分の隣にいる人だと思えるか?ということ。

「すごい」というのは、違いであり、異質な存在としてしまうというのが、私の中にとてもとても強烈に残っている。

覚さんが絵を描いていて素晴らしいデザイナーとして活躍しているのがすごい、と思わせてしまったら、僕の失敗ですと板垣さんがおっしゃっていて、それに衝撃を受けたのと同時に、たしかにであい授業は、覚さんという人に触れた時間だったなと感じている自分に気づく。

対話の時間や、自分が思ったことをシェアする時間があって、
「自分と違うもの、わからないものは『恐い』という感覚」というのをシェアしたのだけど、私は最近、この感覚は変えられると思っていて、それが自分の身体との対話だと思っている。

横浜創英の工藤勇一校長先生の話で
「違うということは不快なことだ、と教えるのが教育だ。」と言っていて、不快だからなくすのではなくて、違うから不快なだけだなと認識して、そのうえで一緒にやるにはどうするか?という対話をする練習が必要なのだとおっしゃっていたことがある。

だから、多様性とは、基本的に不快なのだ。
みんな違うのだから。

でもその不快を保留する、受け流すということは可能で、それを受け流し続けていると感覚が変容するというのも体験を通して実感している。
だから、まず身体との対話をして、自分自身と深く仲良く関わり合うことが大事だ。
でないと、不快を瞬間に削除したくなるから。
そして削除できない不快に対して、暴力を使うのだ。
排除するために人はなんでもする。
でも、それを繰り返しても、本当には幸せにはならないんじゃないか?と思う。

自分を大切にして、相手も大切にする。
それが、出会うということなのかもしれない。

オンラインで開催してもらえて、参加できてほんとうによかった!
次回は11月に予定されているそうです。

では、またね。


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