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【901/1096】自分を知る

自分が学んできた様々な知識は、結局のところ、すべて自分の体験を知るためのものなんだなと思った。
得た知識を使って行動に移す、ということももちろんあるが、体験の裏付けを知識がしてくれるということのほうが多い。
知識により、あれはこういうことだったのか、と腑に落ちる。
知識が先行して腑に落ちてから、動くみたいなことは、ほとんどない。
子ども時代は、学校と言うところで知性で学習して、乏しい体験のまま知識だけが詰め込まれていたけれど、それがどのように体験と結びついているかがわからなければ、役に立たない。

自分を知るというのは、結局は身体を使って体験したことが中心で、体験していないことを想像するという素晴らしい能力が人間には備わっているが、想像は他者と関わるときに発揮すると役に立つものという気がする。想像力を使って表現するというのは、創作そのものだけれど、これは他者とつながるためにしていることだし。
自分一人で想像していることで、表現されないのであれば、それはただの妄想だよなと思う。

自分を知るためには、自分が知りたくないと思っているものも知る必要がある。
でも、知りたくないと思っているものは、なぜ知りたくないのか?という理由が自分の中ではほとんど明確にならない。
知りたくないから。
恐いから。
イヤだから。
くらいなもので。これは理由になっていない。
他人を理由なく拒絶しても、連絡を断つくらいなものだが、自分を拒絶すると生きるのに支障がでる。
ごくごく当たり前の話だなーと思うのだが、なぜか拒絶してもいいと思い込んでいる。

自分を知るのは全方位から。
どこもあますことなく知る。
生きている間中、それをやってもたぶん、全部を知ることはできないけれども、自分が自分を知ることで、自分と深く関われるようになるし、つまるところ、他者とも深く関われるようになる。

ということを、身体と呼吸で私は学び、その体験があってこそ、知識を役に立てることができるのだなと思っている。
コミュニケーションも、身体があってこそ。

では、また。





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