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【763/1096】怒られないように、とやっていることは無意味

なんとなくしてしまうことで、どうしてこれやってんだっけ?というものに、「怒られないようにやっている」というのがある。
過去に怒られた経験があって、それがイヤだったから「怒られないように」やっている。
これが、本当に無意味だな、と思う。
子どもの頃から振り返って、これを大量にやってきたのであるが、まじで無意味だった。
これこそまさに、やる必要のないことだった。
これも、全能感のコントロール欲につながっていたと思うけど。

人が怒るかどうかなど、コントロール不可能領域である。
「怒られないように」などと警戒していても、怒られるときもあれば怒られないこともあるわけで、自分でどうにもならない。
安心感を自分の中に持っていないと、外側に安心を求める。
だから、外側から「怒られないように」としたのだろう。

昨日も書いたが、この全能感のコントロール欲が強ければ強いほど、本当にコントロールできるものはコントロールしていないという矛盾が起きる。

ものすごく不思議だったのだが、
コントロールできないものはコントロールしたがり、
コントロールできるものをコントロールすることは放棄している

のである。

コントロールできること=自分(内側)である。
外側(自分以外のもの)をどうにかしようとして、自分の内側に目が向けられないのである。
外側と内側をつないでいる、身体も含めて、自分の内側をコントロールしない。
そこは、「コントロールしなくてもいいところ」になってしまう。
そして、その自分でコントロールできるところを、きちんとコントロールすることこそが、自分を大切にするってことなのである。

誰かに「怒られないように」と、していることが無意味というのはそういうことだ。
誰が怒ってようが関係なく、自分は自分のできることをやる。
そうすると、自分の中に安心感ができる。
自分の中に安心感が育まれれると、人から怒られて一瞬身がすくんでも
「まあ、大丈夫」
「なんとかなるさ」
というのが湧いてくる。
そして、切り替えて、次にいける。

自分の中に安心感がないと、怒られないようにいつまでもそれに怯える。
「〇〇しないと怒られる」
「これは〇〇するべき」
「ああしないといけない」
などと始まる。
この状態では交感神経バキバキ全開になって、緊張から解放されない。
緊張が強いということは防衛反応が全開なので、人から攻撃されやすくなる=怒られるなのである。
ちなみに、副交感神経の凍り付きを発動させている場合は、もっと緊張度合いが強くなる。
人間は、通常、最初に発動させる防衛反応が「闘う」なので、防衛反応を出している人間(緊張している)を警戒して、無意識に闘うモードを発動させる。
だから、「怒られやすくなる」わけである。

ちなみにこれは、エビデンスとして、ポリヴェーガル理論という神経系のはなしでも、説明がつく。
(その説明はここでは面倒なのでしない)

まじで、意味がない。。。

もちろん、防衛反応を発動している人間に対して、自分の安心感につながって、その場を安心にしてくれる人というのが存在する。
その人は何をしているか?と言ったら、
「自分でコントロールできるところを、きちんとコントロールしている」のである。
そして、安心感につながって、その場自体を安心に変換させる。
なので、そっちの人になったほうがいいじゃん、というのが結論です。

そして、ほんと、この「自分でコントロールできることをコントロールする」というのは、自分を知り、自分の身体と心をととのえるということそのものである。
その軸に、呼吸がある。
コントロールというと、支配すると混同しそうだけれど、
そうではなくて、扱えるか?ということ。

自分の息遣い、どこまで扱えているか?
身体がやっていることをどれだけ邪魔しないでいられるか?
自分の扱いが、自分に適っているか?
息が教えてくれることを、そのまま実行できるか?

「怒られないように」しているより、こちらに取り組んだ方が、どんなに人生を豊かにしてくれることか。
たった一度きりしかない人生、意味のある人生にしたいものである。
無意味なことばかりしてないで。

では、また。


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