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【映画】プリズン・サークルふたたび観る

プリズン・サークルをふたたび観に行った。

坂上監督の作品は、プリズン・サークルから観て、トークバック、ライファーズと観たのだけど、重いテーマなのに、暴力的なえぐい表現がほとんどなくて、安心して観られるのもいい。

突然、暴力シーンが出てくるのが辛すぎる人も多いので、そういうことにも配慮しているのかなと思う。プリズン・サークルは、受刑者の人たちが自分の過去に向き合う段階で、暴力(虐待、いじめなど)の話がかなり出てくるが、そこは柔らかいアニメーションでうまく表現されている。
映画のラストに「暴力の連鎖を止めたいすべての人たちへ」というメッセージが流れたのだけど、その言葉が本当に染みたなあ。

二回めだからか、顔も見れない(モザイクかかっているので)出演者の人に、最初から親しみを感じてしまい、より自分に近い人の話のように感じながら観た。
モザイクがかかっていても、一人一人、ぜんぜん個別の人だし、一人一人がきちんと尊重されていることがわかるからかなと思った。なぜかというと、受刑者の人たちが番号で点呼し、番号で呼ばれて、一律に行進しているシーンなどでは、どのひとも同じように見えてしまったのだ。

今回もやっぱり、受刑している人たちの言葉が、自分の内側の言葉に聞こえてきて、自分との境界線がわからなくなってしまうような瞬間が数多くあった。自分と地続きで、本当にわたしはたまたま犯罪者というカテゴリーに入らずにいたから、刑務所に行かずに済んだだけなんじゃないかと思った。
いじめの話で、「人が後ろに立つと怖い」ことを初めて吐露した彼の話は、丸ごとそのまま自分の体験と似ていて、わたしは今はかなりよくなっているけど、右側の後ろから人が来ると緊張感が走る。それに、長い間、乗り物に乗るときなどに、通路側でないと逃げられないと思ってパニックになるということがあった。(もうこれは本当によくなって、今は窓側にも座れるようになったけど。)
それを、「今まで誰にも言ったことがなかったけど」といって、対話の中で話していたのだけど、この今まで誰にも言ったことのない話ができる場がある、というのは本当にすごいことだなあと思う。
それだけ、安心安全な場として機能しているということだし、その場にそれを語れるだけの自己開示をしている人がいるってことなんだろう。

TCは、週3回、半年〜2年の間、取り組む回復プログラムとなっている。

TC(セラピューティック・コミュニティ)
Therapeutic Communityの略。「治療共同体」と訳されることが多いが、日本語の「治療」は、医療的かつ固定した役割(医者―患者、治療者―被治療者)の印象が強いため、映画では「回復共同体」の訳語を当てたり、そのままTCと呼んだりしている。英国の精神病院で始まり、1960年代以降、米国や欧州各地に広まった。TCでは、依存症などの問題を症状と捉え、問題を抱える当事者を治療の主体とする。コミュニティ(共同体)が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけること(ハビリテーション)によって、人間的成長を促す場とアプローチ。

わたしは、自分が受けてきた被害者支援プログラムや、自己啓発のためのワークなどとすごく似ているし、一部は同じだなあと思いながら観ていて、最初は刑務所でこれが受けられるなんて、すごく羨ましいというような気持ちになった。
だけど、だんだん、これこそが、本当の「償い」なのかもしれないと思うようになった。
自分に向き合う作業は、ものすごく辛いし、痛いし、困難を伴う。見たくないものと対峙しなければならない。わたし自身は、その自分と向き合う作業にコミットして取り組んでいるつもりだが、それでも、相当逃げる。するっと逃げるし、向き合い続けるのはかなりしんどい。逃げたな、と自覚して、またそこに向き合う、みたいなことをやり続けている。
けれども、刑務所の彼らは、逃げ場がない。
あれを週3日のペースでやるのか・・・と思ったら、ちょっと鳥肌がたった。任意で休みながらやっても、かなりしんどい。
しかも、彼らは、自分の「加害」と向き合うのである。刑務所という中で、管理され、逃げることも参加を拒否することもできない中で、徹底的に向き合うことに取り組む。
これは、罰を与えられて、規則正しく番号で呼ばれながら作業をして、刑期を過ごして反省する、というよりも相当にしんどく、辛い作業なのではないだろうか?と思った。

実際、犯行のメカニズムを知るための自分の事件を振り返るワークで、加害者役と被害者役になって対話する場面は、壮絶なやりとりで、観ているこちらは、そこまでやるのかと思ったほどである。
加害者役は自分の事件をそのまま振り返るわけだが、対話の中で、自分の罪の重さに圧倒され、言葉を失う。言葉を失い、涙を流す加害者に、被害者役の一人が問う。

「それはなんの涙なんですか?」

本当のギリギリの深いところ、言葉にできる限界のところまで、深く深く潜って、言葉にしていく。
人を傷つけたことに真正面から向き合う。

映画の中に出てくる大阪大学の藤岡先生の講座を受けたことがあるのだが、「加害者の更生は、被害者の回復と同じ経緯をたどる」という話が印象的だった。
自分の被害体験を、言葉にし体感し、癒されて、初めて自分のした加害に向き合うことができるのである、ということだ。

TCを経験した彼らが、映画の最後に坂上監督に語る感謝の言葉がとても心に残った。
応援してくださる方がいるのは嬉しい、と言っていた。
「生きたい」と言った彼。
「助けてほしい」と日記に書いていた彼。
やっぱり一人一人と向き合って生きていく以外にないなと思う。

私たちの日常の中に、非日常の場が必要なんだなと思う。
TCは非日常の場で、だからこそ、語り合えるものがあるのではないか?
日常を振り返るような、非日常の場。
そういうものをわたしは創っていきたいと思った。


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