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三年日記 ~まっすぐ観る~

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私は私を全力で大切にする。「たったひとりの私」への誓いを守るため、はじめた石の上にも3年計画。 ああ、恐ろしい。こわいようー。もう続かない気がする。やっぱりひっそり辞めてる気がす… もっと読む
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記事一覧

【932/1096】疲れる前にこまめに休む

身体が疲れると、心も連動して疲れてくるので、悩みが濃くなるということがある。 身体が疲れていたり、体調不良になると、心に不安や悩みが浮かびやすくなるのである。 健康な時にはすんなり受け止められることが、簡単には受け止められず、ささいなことにイライラしたり、冷静な判断ができなくなったりする。 無力感に襲われて、自分にはなにもできない・・・と思ったり。 疲れるのは当たり前、と毎日ぐったりするまで働いて、神経が高ぶって夜なかなか眠れず、朝起きても疲れが抜けていない。 そんなときは

【931/1096】継続する

継続するのがなにより難しい、と思ってきたのだが(なにしろ三日坊主ばかり・・・)このnoteも900日を超えた。 毎日続けられているということは、毎日意識があるということで、毎日書ける環境にありつづけているってことだなあと感謝である。 「継続しつづけていれば、失敗も諦めもない。」と言う。 たしかに!と思ったけれど、諦めることに慣れていて、でもなー、と言い訳し続けていた。でも、それは結局、面白くもなんともなかったなと思う。 今、このnote以外にも継続していることがいくつかあ

【930/1096】股関節から動く

本日は呼吸のお稽古。 今月のテーマは、「ぐるぐる」 頭でぐるぐる同じようなことを繰り返し考えてしまう。 不安、心配、今必要のないこと、などなど。 ぐるぐるしているうちに、息があがっている。 さて、じゃあどうしようか?というところ。 前回は、上半身を緩める動きで、息が楽になって、頭のぐるぐるがおさまるというのを体感してもらった。 今回は、足を使えるようにすると、上半身も緩み、頭のぐるぐるもおさまるというところを体感。 足は、どこから動くか? 股関節からである。 股関節ってど

【929/1096】自分が何をしているかに気づく

今日は呼吸DOJO応用で鵠沼へ。 雨の鵠沼海岸は、なんかしっとりしていていい。 応用は、相手とのコミュニケーションについて学ぶのであるが、今日は自分が話をしているときに相手の存在を切ってしまわないようにという練習をした。 毎回いろんな発見があり、人間と言う生き物は自分も含めて、いろいろ面白いなあと思う。 今日は自分は、自分が勝手にタブーにしていたことを、人前で話しても大丈夫なのかという発見があった。 タブーにしていたのだなと気づいたと言うか。 結局のところ、今、自分が何

【928/1096】問いを変える

カウンセラーになるための勉強をしているときに、自分がいかに人に質問できないかを思い知った。 自分の答えてほしいように質問していて、そうではない答えが来るとうろたえる。 傾聴は、共感的理解とともに聴くだけでも成り立つわけだが、的確な質問ができないと人は話せない。 というわけで、質問の仕方を学んで、それを使う練習をし、資格試験に通って、なんとかカウンセラー資格をとり、そこからもずっとブラッシュアップの学びは続けている。 が、しかし、自分の内面への問いは、その学びがうまく反映され

【927/1096】つながりなおす

過去に身体的な不快を体験してトラウマを持っていると、身体の感覚を切って生き延びる。 身体を感じると大変なことが起きて、それを感じることはものすごい苦痛を伴うため、切り離した。 人間はそういうことができるのがすごいなと思う。 動物は切り離したら、しばらく経って危険が過ぎ去れば必ずもとに戻るのであるが、人間だけが「考える脳」を持っているので、戻らないということができるらしい。 しかし、切った感覚もそのときは切り離すのが生き延びるすべだったけれど、しばらく経って、日常が戻ってきた

【926/1096】ゆっくり休む

今日は事故を目撃してしまい、動揺した。 自分でもっと大丈夫な気がしていたが、そうでもなかった。 刺激に弱いのだから当たり前か。 こういう日は、自分に優しくすることにして、ゆっくり休みます。 おやすみなさい。 では、また。

【925/1096】身体と心の安心を取り戻す

昨年の10月に心と身体セラピーをリリースして、モニター募集から始まり、5月のGWまでに100名の方に受けてもらうと言う目標を立てていた。 先日、100名に達した!! 5月までに100名の方に受けてもらうのは、自分としてはハードルの高い目標だったが、このセラピーに関してはまだまだ可能性があり、成長すると思っている。 心の問題を話すことで認識して、それが身体とどう繋がっているか?確認し、そのあとに身体を動かしてみると、その心の問題に対する感覚や気持ち、思考が変化していく。 そし

【924/1096】ありありと感じる

「感じる」をいかに抑圧しているかは、感じるようになって初めてわかる。 いかに感じていなかったのか。 感じる前にそれはどんなものか?を想像しても、けっきょくは想像であり、体験ではない。 感じるしかないのである。 感じるの抑圧を解放して、自分に感じることを許し続けていくと、感情をありありと感じることができる。 ほんとうに「ありありと」感じる。 鮮明で鮮烈。 自分は、ああ、こんなにも感じるのか!と感銘した。 怒り、悔しさ、悲しみ、痛み。 ありありと自分の中で感じることを、尊い

【923/1096】定点観測的ふりかえり

定期的に会って、お互いの近況を振り返る話をする友人がいる。 毎回、会って何時間も話すのに話題が途切れず、これってすごいよなと思う。 定点観測的に会っているので、前回からの差異がよくわかって面白い。 自分も相手も、必ず変化があり、その変化についてお互いが確認する感じ。 変わっていないところも確認するが。 こういう相手がいるというのは、ありがたいことだとしみじみ思う。 最初からそういう相手だったわけではなく、いろいろな経験を経てそのようになった。 ある時期、自分が非常につらく

【922/1096】足の裏

今日は、自分の足の裏に意識を向けて過ごしてみた。 一日中、足の裏に意識を向けるというのはしたことがないことだったので。 足の裏に意識を向けていると、SNSとかで流れてくる動画とかに足裏のものが多くなったりして(いや、自分が意識しているから目に付くだけ)面白い。 以前、足の小指側が浮きやすいからと、小指側を意識していたのだが、注意が外れるとまた元に戻ってしまう。 すると、一日中注意していなくてはならず、これは現実的ではない。 そのとき、では、どうするか?を考える必要がある。

【921/1096】身体を動かす

昨日、今日と呼吸・整体スクール三昧。 「身体を動かす」と言うことに関して、ものすごく苦手意識があったが、最近ようやく苦手意識が薄くなってきた。 というより、苦手意識があってもそこに飲み込まれないように調整できるようになってきたというか。 そうすると、ちょっと身体も「動いてあげましょうか?」みたいになってくれるときがあり、自分の身体と和解が進んでいる。ありがたし。 私は刺激に非常に弱いので、ちょっと負荷の高い動きになると、ちょっと軽くパニックに陥り、混乱しすぎて何をしている

【920/1096】問題はなにもない

しょっちゅう、トラウマやら防衛反応やらのことを書いて、今自分にある問題を解決するために変化するのが大事だという考えの持ち主のように思われるだろうが、実のところ、私は「問題な人は誰もいない。問題などなにもない」という考え方が好みである。 社会構成主義という考え方で、「問題な人というのは存在しない。ただ、それを問題だと定義している人がいるだけである」というものだ。 だから、自分の中でそのように捉えているだけであって、その有り様が変われば、問題だと思っていたものが問題ではなくなる

【919/1096】知識は理解ではない

数年前に呼吸・整体で学び始めたとき、自分が日常生活で、いかに息を止めていたかに気づいた。 それはもう絶望的なくらい、明らかに息を止めていた。 うっすらとか、苦しくなるほどではないが、というレベルではなくて、よく苦しくなかったね?というレベルで止めていた。 そりゃ過呼吸にもなるわ、と思った。 呼吸・整体で学んだことは、ものすごくシンプルで、 息を止めていた日常から、息を止めない日常へ切り替える。 ということである。 誰でも理解できると思う。 言っていることはわかる、という意