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新しいワクワクする挑戦と慣れ親しんだ日常への愛着

20代、30代の頃は、新しいワクワクする挑戦がすべてで、慣れ親しんだ職場とか、家とか、友人とか、同僚と離れることが淋しいという気持ちは、ほとんどなかったように思う。「常に前進あるのみ」の猪突猛進型で、後ろ髪引かれるような思いは、前進を妨げるものだと捉え、さっさと断捨離した方が成長できると、思っていた。

いつからだろう、自分のまわりにあるものは偶然ではなく、大好きだからそこにあり、そういう愛おしさが人生の醍醐味なのだと、感じるようになったのは。

5年前、16年住んだ家から引っ越しする際は、大泣きした。大好きな家で、素敵な思い出がたくさんあった。しばらくは、近くを通ったりするとそこで立ち止まりたくなったり、そこへ向かうバスを見ると飛び乗りたくなったりするほど、気持ちが残っていた。

とても気に入っていた家だったので、引っ越したい気持ちはなかった。しかし、大好きな先輩に、長く同じところにいると成長が止まると言われて、その言葉に共感し、家探しを始めた。その先輩は、有名なヒーラーで、風水の観点からどのように家を選ぶと、人生を好転させる引っ越しについて、アドバイスしてくれた。

かくして、風水の観点だけで、新しい家を選んだ。以前の家からわずか2㎞ほどのところで、エリアとしてさほど変わっていない。ただ、国道沿いでどこに出るにも便利だった以前の家と異なり、引っ越し先は車や人の通りも少なくとても静かなところだった。忙しい日常とコントラストをなすこのような静かな場所を必要とする気持ちが、潜在的に私の中にあったかもしれない、と感じた。

以前の家が恋しかったのは、最初の半年ぐらいで、新しい土地で、新しいお気に入りの場所を探すのもとても楽しかったし、新しい家も大好きになった。

引っ越して5年の間に、私は2度の転職をした。職場も家と同じで、当時は辛く感じていた日常も、なくなってみると愛しさに溢れていたことに気づく。もう戻れないし、戻ったところで状況は一変している。「あの日、あの時、あの場所」でなければあり得なかった奇跡の連続は、人生の醍醐味といえる貴重な瞬間の積み重ねだったと、今噛みしめている。

思い出は、累積で増えていくから、振り返ることが多くなるのかもしれない。30代の頃までは、想像すらしなかった。25歳から一人暮らしを始めたが、ホームシックになることはなかった。亡くなった父を思い出す回数は、父が生きていて離れて暮らしていたころより、亡くなった後の方がずっと多い気がする。

「袖振り合うも他生の縁」というが、長く一緒にいたもの、それは人であれ、家であれ、会社であれ、自分にとってとても大切で、深い縁があったのだと、心からそう思う。そして、苦しかった、辛かった思い出も含めて、その二度と訪れることのない時間が「至幸の時」であったのだ。

私は、仕事人間で、頭でっかちで、デジタル志向で、右脳で感じることが不得意な人間だ。しかし、そのことが解ってからは、「今ここにある愛しさ」を逃さないように、たっぷり味わうように心がけるようになった。

目の前の「今」はあっという間に通り過ぎるが、通り過ぎた時間もまた、私の中で生き続けている。その時の愛しさは、思い出となって、自分の中にある引き出しにしまってあるだけなのだ。

今日晴れていて気持ちいいことも、雨が降っていて草木が潤うことも、すべてが人生の恵。大好きだった仲間も、誰とでも分かり合えるわけではないことを教えてくれたあの人も、すべてが思い出。それが生まれてきた意味。本当にありがとう。

私は、最近また引っ越しをした。引っ越しの前の日は、慣れ親しんだ家と街を離れるのが淋しく泣いたが、今では新居での新しいライフスタイルを謳歌している。

私はこれからも、沢山の思い出と一緒に、ワクワクした新しいことに挑戦を続けてゆく。また、素敵な人、素敵な街、素敵な家、素敵な仲間に会えることを信じて。

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