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母への手紙3/3"2年ぶりの再会"

私はようやくベンを持ち
母への返事を一気に書いた。

同居していた明治生まれの祖母(母の母)は昔の人らしく
愛情表現も決して上手いとは言えない人だった。
だから孫として
私は愛されていると思えなかったこと。

3つ下の弟が幼稚園になってから
急に発作を起こす病気になり
家族はその日から弟中心の生活に。

弟の病気のことや
学校では知的障害のクラスに通うことになったことに
姉としてどうしていいか
分からなかったこと。

弟に手がかかるから
姉の私は良い子に
成らざるを得なかったこと。

でも、母からの手紙を読み
本当は生まれる前から
既に多くの人に
愛情を貰っていたんだね。
おばあちゃんも
口下手だったけど
私のこと愛してたんだよね。

お母さん大好きだよ。

手紙の最後は
この言葉で締めくくった。


実は1/3の記事にある
私のつぶやきの
コメント欄を見ていただくとわかるのだが 

noteでいつも優しいメッセージをくれる
"これでも母さん"が
親に「大好き」と言ってあげられなかった。
と伝えてくれていて
それがずっと頭に残っていたのだ。

私も全く同じだった。
そうだここで伝えよう。

noteの皆さんが
私にいつも言葉で
愛を届けてくれるように…

今度は私が母に愛を届ける番だ。

私は初めての経験に
少し戸惑いながら
およそ半分
取ってつけたように
この言葉を書いた。


今回の手紙は
時系列もめちゃくちゃだった。
頭に浮かんだ言葉を
書きなぐると
読み返しもせず
直ぐに封をした。  

思いを吐き出す。
を優先しようと思った。

決心して書いた手紙…

そのあと再びnaomiさんのコメント欄を覗きに行くと(昨日の2/3の記事参照)

既に自分の気持ちをお母さんへ伝えることができて 
今そのことを記事にまとめています。

と私にメッセージを送ってくれたところだった。

(この同じ空の下、naomiさんも
親子の関係について、真剣に向き合っている…)
私だけじゃない。

noteの世界では
毎度お馴染みの
"シンクロさん"は
ここでも粋な計らいを
してくれたのだった。

沢山の勇気を
noteから貰えた私は
ようやく手紙を投函した。



そして9月に入った…


今なら帰省出来るかも?
ふとそんな思いが
頭をよぎった。

私が手紙の返事を
出してからの変化といえば
母とのLINEが少し増えたくらい。

ただ、この 
ちょっと帰省してみるか?
と思いついた以外は
私と息子達
私と両親
それぞれの関係に
特に大きな変化は無かった。


実家は一軒家。
窓を開けっぱなしで
過ごせる気候になった。
感染のリスクも夏より低そう。

これからは季節は
冬に向かう 

行くなら今だ。 


そして私は一人
新幹線に乗った。


両親は最寄駅まで
迎えに来てくれた。

駅の改札を出ると
迎えに来た母が
いつも座って待つ椅子がある。

そこにはオレンジ色の
ジャケットを着た
小柄な女性がいた。

その女性は会うたびに
私を苛立たせていた
小憎らしい母から
ただの小さな
可愛いおばあちゃんに
変わっていた。

2年ぶりの再会。

え?
こんなに?

こんなに腰の曲がった
小さなおばあちゃんが
私の母?


心境も環境も
何も変わってないと
思っていたが
母を目にした瞬間の
自分の感情の変化に
私が一番驚いた。


思わず駆け寄り
肩を抱き寄せる。
前回別れた時より
また背中が曲がっていて
強く抱くと
骨が折れそうだ。

照れ隠しにジャケットの色を褒める私。
(だってこんな動作…
私、初めてなんやもん…)

入れ歯の父も
電話で聞いてた声が
フガフガしてて
どうなの?
と思いきや
直接会ったら
言葉も背筋も
しっかりしていて安心した。

ドアtoドアで往復8時間。
僅か2泊の滞在。

ただ、今まで感じたことのないほど
穏やかな気持ちで過ごすことが出来た。

滞在中
私は近所のお店まで
敬老のカステラと花束を
買いに走った。 

両親へのサプライズ。

感謝の気持ちを
どうしても形にしたかった。


「こんなんええのに〜」
と言いながら受け取る母。

(そうそうこのセリフ…)

母はいつも素直に
ありがとうが言えない人だ。

今まではこの言葉を聞くたび
感謝がない人だな。
と私はいつもカチンと来ていた。

でも、これは私に
余計なお金を使わせまいと気を遣う
愛ゆえの母の言葉なんだと
今の私は受け取れた。

(もう私、そんなこと言われても腹立たへんよ)

母は近年
老人特有の症状から
手が小刻みに震える。
花束を手にした母は
その震える手で
花束を花瓶に移そうとしていた。


一方父は
最近変えたばかりのスマホで
カステラを撮ろうと
ピント合わせに四苦八苦していた。

そんな2人を見ているうちに
こんな気持ちが湧き出した。

何?何?
このおじいちゃんと
おばあちゃん?
めちゃくちゃ可愛いんですけどーーー!


両親に対し
こんなに愛おしい気持ちになったのは本当に初めてだった。

おいおい。
今までの腹を立てていた私よ。
どこへ行った?

もう一人の私が
心の中でツッコむ。

本当にそれは不思議なくらい。
どこかへ消え去っていた…


私はおもむろに
カステラを父に持たせると
横に立ち
スマホを構えた。

最初は父と2ショット。
次は母と私の2ショット。

カステラを挟んで写真を撮った。

カステラには大きく

寿

と焼印が押してあった。

ああ!
寿だよ!
こんな幸せな敬老の日は初めてだ!
(バイキングの小峠風に)

いつも敬老の日には
通販で長寿の蕎麦とやらを
一方的に贈って終わりだった。
今回は寿のカステラを
4人で切り分け
一緒に紅茶を飲んだ。

金額にしたら
何分の1だったけれど
一緒にお祝いが出来たという満足感は
何倍何倍も大きかった。

そんな中
いつもは父親に対して
反抗的な言葉が多い弟に
私は帰省をする度
憂鬱になっていたけれど
今回はそんな言葉を
聞くことも無かった。

嘘でしょ?

私の実家と同じ場所にある
パラレルワールドにでも
来てるんじゃないの? 


私はこの半年間
noteで学んだことがある。

見ている世界は
その人の心がそのまま現れる。


今回は本当に愛で溢れていた。
溢れまくっていた。

こんなにも自分が変わると世界って変わるものなんだ。
実家での滞在中は
驚くことだらけだった。


私が帰る日
玄関で家族4人で
写真を撮った。

帰省の度に
写真は撮るものの
4人だけというのは
記憶も記録も無い。

家族写真を撮る。

実は帰省する前
私は密かに決めていた。

両親が元気なうちに
家族写真を撮ろう。
それが叶った。
それも思ったより
あっさりと。

別れ際
私は母に
両手を広げて近づき
ハグをした。

次は父にも
ハグをした。
父は初めてのことで
腰が引けていたのが
おかしかった。

そんなこと
今まで出来なかった
しようとも思わなかった
でも、本当にこの時の私は
不思議と自然に
出来たのだった。

両親が80歳を超えても元気でいる。
自分の身の回りのことを
誰の助けもなく出来ている。

その上帰省した娘の世話まで焼いてくれた。

その奇跡に心から
感謝の気持ちで
いっぱいになった。 


「手紙を書いて欲しい」
とあの日勇気を出して良かった。

おかげで私の知らなかった
出生の話しや乳児期の話しを
母の手書きの手紙で
知ることが出来た。

お互いに何かあれば
もうあんな手紙を
手にすることが出来なかった。

そして今、再び会えた。
特別なメニューでもない
母の作る料理は
本当に美味しかった。
あれこれ食べろと
いつも皿を差し出して来る父にも
もう私はイライラしなかった。


古びた実家には
私達4人の間には
既に沢山の愛でいっぱいだった。


直感で動いたのは正解だった。

2年も帰省しなかったのは
結婚して初めてだ。

しかし反対に
今の私にはこの時間が
必要だったようだ。







さあ、夫と息子が待つ家へ帰ろう。
まだまだ彼らは若い。
すぐには変わらないかも知れないけど
きっと大丈夫。

そう思えた。



次はいつ会えるかな。
今度は孫にも会わせてやりたいな。


それまで
お父さんも
お母さんも
絶対元気でおってよな。


今なら心から言える

お母さん大好きだよ。




最後に
沢山の愛ある言葉を送ってくださったnoteの世界の皆さん…
本当にありがとう。

ここまで私が行動出来たのは
皆さんのおかげです。

私だけの力では
不可能でした。

だから今回のことは
noteでシェアしようと
思いました。





読んでくれてありがとう。
出会えたご縁に感謝します。

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