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鵜飼いの鵜

小学校を卒業するまで、彼はずっと決まったものしか食べられなかったので、11時半に学校に温かいお弁当を持参するのが日課だった。

一応、給食当番もするし、給食も一人分は並べてもらって、果物などの食べられるものがあればつまむ。食べられないものは「お願いします」と言ってクラスメイトに食べてもらっていた。

それでも給食の時間は楽しい時間だったようで、「学校すき?」と聞くと「給食!」と答えていた。

特別支援学校に入ったときも、お弁当を持参していたのだが、GWを過ぎた頃に先生に「お弁当はいらない」と言われた。

おそらく、本人の偏食をなんとかするという目的だけでなく、他の子への影響が大きかったのだと思う。一般学校と違って、我慢できない子は多い。昼食が食べられなくても死ぬわけではないし、14時半には帰ってくるので「遅い昼御飯でもいいか」と、学校の指示に従うことにした。

夏休みまではほとんど食べられず、「今日もなにも食べませんでした」という連絡帳の文字が続き、彼は14時半に昼御飯を食べていた。

新学期が始まるときに「明日からお弁当を持たせます」と連絡すると「それは困ります」という返事。

まぁ、他の子もいるしね。と諦めた。それでも彼自身のことを思うと、感覚過敏で食べられない可能性が高かったので、無理に食べさせないという約束だけしてもらった。

半袖の上に長袖シャツを羽織る頃になって、連絡帳に「今日は春巻きを食べました」と書いてあった。

春巻き?あの中華系の春巻き?と思って確認してみると、ハルサメやキクラゲの入った普通の春巻きだった。

早速、家でも食べさせてみようと思って買ってきた。私は中華料理が苦手なので、美味しいと評判の中華料理店で、無理にお願いしてテイクアウトした。大きくて立派な春巻きだった。

食卓に並んだいつもと違うもの(春巻き)をじっと眺めていた彼は、突然それを口に入れて上を向いた。

そして喉でぐびぐびと飲み込み始めた。

口から春巻きの端が飛びだし、上を向いて飲み込もうとしている様はどこかで見たことがある。

「鵜飼いの鵜」だった。

あわてて春巻きを引き抜き、お茶を飲ませ「食べなくてもいい!」と言うと目にいっぱい涙を溜めて「好き嫌いしません!食べましょう!」と叫んだ。

次の日からは、強制的にお弁当を持たせた。学校へは「他の子の迷惑になるなら教室で食べさせてください」とお願いした。

思えば、このあたりから中学部の悲劇は始まっていたんだなぁと今ならわかる。どんな食べ方をしているかも見てもらえてなかった。

「お願いします。目の端でいいんです。常に彼を見ていてください。」

何度目かのお願いをしながら「なんのための≪特別支援学校≫なんだ?」と心の底から思った。

それ以降、彼は家で春巻きを食べない。一歩間違えば窒息の可能性もあったのだ。苦しかったと思う。一生食べなくてもいいよ、春巻きなんか食べなくても死なない。

そう思っていたのだが、この夏、彼はまた「鵜飼いの鵜」を演じたようだ。まだ顔が小さかった頃と違って口から飛び出していることはなかったようだが、ちくわを上向いて丸飲みしたらしい。作業所のお弁当での出来事だった。

「みんなと同じがいい」

その気持ちが「みんなと同じものを食べていたい」となり「残したくないけど食べられない」から丸飲みになるのだということは理解はできる。

作業所で注文するお弁当は、同じ事業所の別の作業所で作成しているものだ。担当の指導員さんは、丸飲み報告だけでなく、同時に「彼の分は、一口サイズにカットしてもらおうと思っていますが良いですか?」という提案をしてくれた。

ちゃんと見てもらえてると、こんなに居やすくなるんだなぁと思った。

春巻きで「鵜飼いの鵜」を演じてる時に、写真を撮っておけばよかった。あんな光景は二度と見られるものではない。などと思うのは親としては失格なのだろうが・・・。人様にお見せできないのが少し残念だ。

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