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学習

もうすぐ二十歳になるうちの子どもは、重度知的障害である。3歳程度の言語能力しかないので、ほぼなにもわかっていないというのが実情だ。

それでも、なにやら感じたり考えたりすることはできるようで、それを表現することが全然できずにいるという感じに見える。

たとえば、空間認知能力は人並みにあるので、何かをするときに、工夫をするということができてしまう。その結果がどうであれ、効率という言葉の意味を知らずとも「効率的にやろう」という意思がそこにはあって、がんばっているのだ。

例えば、折り紙をさせるとき、何個も同じものを作って組み合わせるということはよくある。アジサイを作るとき、千羽鶴を作るときなどである。こういうときに彼は、何枚も重ねた折り紙で途中まで折ろうとする。

速くきちんと折るために、何枚くらい重ねるのが適当なのかを試行錯誤する。結果的に一枚ずつ折るのが速い(鶴など工程の多いもの)と思えば一枚ずつ折るし、まとめて折っても大丈夫(アジサイなどのゆるゆるでも形になるもの)だと思えれば、多めの枚数を重ねて作っている。

これは私が教えたことではなく、彼が自分で考えて試しながら工夫しているのだ。

それは折り紙に限らず、生活のなかでちょくちょく見られることなので、日本語がわからないから何も考えていないのではなく、日本語はわからないけれど自分なりに工夫して暮らしやすくしていこうとしているように見える。

彼の学習については、就学前から取り組んできた。最初はBenesseのしまじろうシリーズ。これは、ビデオや教材が豊富だったので遊びながら取り組むことができたが、3歳くらいまではちゃんとついていけていたが、それ以上に進むと言語理解ができないので「問題がわからない」状態になった。

今でも、3歳児の教材はたまに出して遊んでいるが、それ以上のものは見向きもしない。お話も3歳対象のものは好んで読んでほしいと持ってくるが、それ以上になると拒否反応を示す。

学習というものを考えたときに、最も大切なのは国語で、次に数学だと思っている私としては、国語がダメならとりあえず数学も無理と思ってきた。

数学の基礎になる数の概念を説明することが異様に困難だから、とりあえず放置してきたのだ。代わりに時計の読み方、時間の概念、お金の使い方などを教えてきた。

小学校では算数のプリントというのがあるが、それをさせても数の本質を理解しているのではないので、英語のスペルを覚えるように計算式そのものを暗記してしまうという状態。本人には結構なストレスもあったから、「一般的な算数は必要ありません」と先生にお願いしてプリントをやめてもらった。

同じ自閉症の子どもを持つお母さんからは「公文式」も勧められたが、おそらく丸暗記するだけだろうと予想できたので、これも却下。そもそも公文の教室で座ってプリントをやるなどということができる子でもなかった。

そんなこんなで、現在までずっと公文だBenesseだ七田式だ、Z会だ、ブリタニカだと就学前対称のコースに申し込んでは、ほぼ1年でついていけずに退会。それで残った教材(毎日2枚)と三行日記を細々と続けているというのが彼の学習遍歴だ。

彼にしたら「勉強は嫌なもの」でしかない。なぜなら理解できていないから。少しでも理解できれば楽しいものになるだろうに、残念なことだ。

映像や画像に興味があるとわかった頃に、なんちゃって動画で絵本を作ってみたり、色々とやってみたがやっぱり「言葉の理解ができない」というのは同じで、たぶんその部分の脳のニューロンが壊滅的に働いてくれないのだろうと思われる。

最近、私がインテリアにしようと思って「物理オモチャ」というものを集めだした。どうやらそれには興味津々で、何度も何度も遊ぶ。

ニュートンのゆりかご、ペンデュラムウェーブ、ジャイロスコープなどの力学的なもの。キャンドルシーソーや天使のリングなどの熱を利用したもの。永久機関のようにも見える水飲み鳥などなど。

思えば、蛇口からの水流に手を当てて流れが変わることを楽しんでいたのも、流体力学を感じていたのかもしれない?(超欲目)

言葉にこだわらず、物理方面からアプローチしてみようと、教育に対する情熱がまたまた湧いてきてしまった。まずはお子さま向けの科学実験からやってみよう。結果がどうなるか楽しみだ。

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