季節
彼は、生活全般的に「準備」というものが苦手だ。たぶん、予測がつかないから「何を持っていけば滞りなく活動できるのか」がわからないからだ。
「忘れもの」が多いのにも理由があって、前回使わなかったから必要ないと、自分の頭の中で勝手に処理されているのだろうと思う。
「サッカーの支度できたの?」と聞くと「ママ一緒に。」と返ってきて、一から「あれを持ってきて」「これを持ってきて」と指図し、全部並べて一つずつ確認。そのあとリュックに入れるという作業が必要になる。
昨日の夜に「サッカーの支度は?」と聞くと「朝!」と言ったので、「じゃあ、ママはお弁当作るから手伝わないよ。一人でできるなら朝でもOK」と伝えていた。
今朝は5時に起きたのだが、何も言わずにもくもくと準備を始める。そういうときに手を出すと、途中でやめたり、親に任せてしまったりするので、今日はお弁当を作りながら黙って見ていた。
いつも並べる場所に、いつもと同じように並べて自信満々の顔でやってきて「できました!」とニコニコしている。
残念・・・スパイクがない。
「そっか。じゃあお弁当作ったら見るから、もう一回チェックよろしく」「行ったらまず何をするかとか思い出して準備するのだよ」などと言いながら、どうするのか見ていた。
すると、帰宅時着替え用のTシャツを半袖から長袖に換えて、タオルを一枚余分に出していた。それでもスパイクには至らない。
お弁当を作り終えて、その場所に近づいた時に、突然思い出したのか玄関へ走っていって、スパイクを持ってきた。ニコニコだ。
一緒に確認する。
着ていくユニフォームOK!
車の中で使う膝掛けOK!
活動で使うサッカー用品(スパイク、レガース、タオル)OK!
帰りの着替えOK!
そんな風に、一つずつ確認するしていって「すごいね!全部揃ってるわ!」とことさら驚いたような顔をして彼を見る。
それまでは心配そうに手元を見ていたのが、少し照れ臭そうな、ちょっと自慢気な、ほっとした笑顔に変わっていた。
こうやって自立していくんだなぁと思ったことは、サッカー準備だけでも何回目だろう。今日はとても冴えている。でも、ずっと同じようにできるとは限らない。それが自閉症だ。
夏から秋になる不安定な気候を乗り越えると、春先までは「冴えている時期」が続く。この時期には、伝えようと思ったことがほぼ伝わるし、こんな風に準備や手順なども、昨年以前を思い出して(?)自信を持ってやれる。
おそらく、次のサッカーの準備も一人でやるだろう。先読みして準備もできるようになるから作業所での作業量も増え、計算も速くなり、かかる人手は極端に減る。
家でも編み物やミシン、ビーズ細工などをこなせるようになる。今年は何を作るんだろうと楽しみにしている。是非ペーパークラフトのクリスマスカードにチャレンジしてもらいたいものだ。
一年中「冴えている」期間だったら、この人も生きていきやすいだろうに・・・と思うが、そうでないところに辛さがあるんだろうなぁ。
そして、春先のいわゆる「木の芽どき」には、今までできていたことができなくなる焦燥感。言われていることの意味がわからなくなるという辛さ。
手先が思うように動かないという身体的な苦痛。夜に熟睡できない。そういう問題がまた出てきて、「できていたはずのことができなくなる」悲しみに襲われてしまうのだ。親子ともに。
それが何の原因で起こるのかはよくわかっていない。気圧や気温などの環境的な変化なのか。彼の周囲の人が、暑い時期を乗りこえて過ごしやすくなるために従来の優しさを発揮して、人的環境がよくなるのか。私にも、もちろん彼にもわからない。
それでも、繰り返しといういろんな作業は、彼の生活熟練度を少しずつではあるがあげてきている。来年の春夏は、今年よりはマシだろう。
ともあれ、ここから半年は「彼が彼らしく過ごせる」期間だ。今年も存分に楽しもうと思う。
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