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かわいい

ピンクや黄色、オレンジなどの明るい色が好き。シフォンの透け感やサテンのキラキラ、ビーズのキラキラが好きというのは、悪いことではないと思う。

自分が綺麗だと思うものを着たいと思って何が悪いねん?スカートが好きでもいいやん。

そう思っていたし、あまりにも似合っていたから「かわいい!似合う!」と褒めていた。

世の中では、男の子がそういうことをすると変な目で見られる。旦那さんはそれを認めることにすごく抵抗していた。

姪のピアノの発表会があって、彼女は真っ赤なサテンのワンピースに赤のシフォンのスカートを重ねた服で出場した。

そのまま実家に来たので、到着してすぐにいつものジーパンに着替え、ワンピースは風通しも兼ねて部屋のハンガーに吊ってあった。

見つけたのはほんの偶然だった。たまたま前を通った時に、強めの風が吹いてワンピースが床に落ちてしまったのだ。

彼はそっとワンピースを持ち上げ、キラキラした瞳で私を見上げた。次の瞬間「ねぇ、このワンピちょっと着せてもいいかな?」と彼女と彼女の母(妹)に聞いていた。

「いいよー。似合うんちゃう?」

そう返事をもらって、彼を見るとビーズに吸い寄せられるように顔をワンピースに近づけていた。

「着てもいいって。着てみる?」

彼はまだ喋れなかったが、満面の笑みとキラキラした瞳で応えた。

着せてみるとガボガボだったので、ウエストを締める。裾はドレスのように広がってシフォンが風に揺れ、まるで結婚披露宴のお色直しのドレスのようだった。良く似合っていた。

そして、皆が集まっているリビングにお披露目に行った。そこにいたみんなが「可愛い!」「似合う!」と褒めちぎり、スマホのフラッシュがあちこちで光り、父(祖父)はカメラを持ち出して撮影した。彼も満足そうににこにこしながら、モデルさんのように皆の真ん中で回ったり、歩いたりしていた。

ほんとに可愛かったのだ。

旦那さんは渋い顔をして無言で見ていたが、あとで「男の子にあんなもん着せるな。そっちにいったらどうすんねん」と言った。

そっちに行ったらそういう子だったというだけのことじゃないか。と思ったがとりあえず波風立てても良いことはないので「わかった」と言っておいた。

トイザらスでは、ディズニープリンセスの衣装が売っている。かなりチープなもので、あの時の姪の衣装とは比べ物にならないが、それでも彼は気になったようだ。必ず衣装売り場に行って、長いこと眺めている。「欲しいの?」と聞くと黙って立ち去る。毎回それを繰り返した。

小学校になってもまだそんな感じだったので、この子はもしかしたらトランスジェンダーというタイプかもしれないと思い始めた頃、それは突然なくなった。

トイザらスに行ってもドレス売り場には行かなくなったし、洋服を買いに行ってもスカートを見ることはなくなった。

小学5年生の初夏、彼はTシャツと中途半端な半ズボン、上からシャツを羽織り、ちょっとマニッシュな(父の)ストローハットをかぶって、いつものように母と一緒に夕方の散歩をしていた。

それを見かけた同級生が寄ってきて「○ちゃんはおしゃれやねー」と言った。そのときの彼のなんとも言えない満足そうな笑みは忘れられない。いつかのワンピースのことを思い出した。

彼は「可愛い」と言われるより「おしゃれ」と言ってもらえる方がうれしいと感じるようになったのではないかと、担任の先生は分析していた。学校でも「おしゃれ~」と言われると機嫌が良くなることが多かったようだ。

私には娘がいないので、少し残念なような複雑な気持ちでそれを聞いたのだが・・・。かわいい時期をこえて、ひげも生えておっさん風になってしまった今の彼を見てると「トランスジェンダーじゃなくてよかったのかも」などと思う。

親なんて勝手なものだ。

最近は「イケメン」という言葉に敏感で、サッカーの先輩であるイケメンの○○さんの真似をしている。「○○さん。同じ着てたねー」と言って買ったボーダーのTシャツがお気に入りだ。

散髪にも自分から行くようになった。ソフトモヒカンっぽく短めに刈った髪に、カラーワックスをつけてもらうのを楽しみにしている。つい先日は、本屋で男の子用のファッション雑誌をパラパラめくっていたのを発見した。

すっかり男の子になってしまった。

かなり大きくなるまで「かわいい」と言われることを喜んだのは、ほかに褒めてもらえることが極端に少なかったからなんだろう。

親はしょうもないことでも褒めるけど、他の大人や同級生はシビアだ。それでも「かわいい」と言ってにこにこしながら近づいてきてくれる。

それが嬉しくて「過去、最大限にかわいいといってもらえたこと(ワンピースを着たとき)」を再現したかったんじゃないかと思う。

「おしゃれ」でも「かっこいい」でも何でもよかったのだ。

そこには「○○ができたね。よかったね」という上から目線の褒め方ではなく「いいなぁ」という羨望が含まれていて、それによって生まれる自己肯定感というものがあったのだと思う。

褒めるって、ほんと奥が深い。

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