創作怪談『呼ぶ声に誘われて』前編

前編


  会社に勤め始めて六年。私はその六年間、毎日決まって同じルートで通勤、退勤をしている。家から最寄り駅まで一番近道であるそのルートの途中には、古びた廃屋が立っている。
私がこの廃屋を通り始めたころには、既に誰も住んでおらず、近所では「幽霊屋敷」と呼ばれ有名だった。
たしかに、その廃屋は洋風な建物で、近所にある家の中では一番大きく、庭も広い。
頑丈そうな鉄格子の門があり、周りは塀で囲まれていた。
   しかし、人気がないせいか、どこか不気味な雰囲気がする。特に帰宅時には日が暮れており、本当にアミューズメントパークのお化け屋敷のように見える。毎日、そんなどこか不気味な雰囲気の屋敷の前を歩いて帰る。

  ある夜、仕事が遅くなり普段より遅い時間に帰宅していた。
その廃屋の前を通りかかる。ごくたまに、この廃屋に肝試しに来た若者が鍵のかかった門を前にどうにかこじ開けようとしたり、待ち合わせ場所としてたむろしていて、騒がしいこともあるのだが、この夜は違った。
  その廃屋の中から、微かに声が聞こえた。先ほど言ったように、若者が肝試しに来ていることもあるので、どうやってか、中に入れたのだろうと、特に気にしなかった。夏も近くなってきた蒸し暑いこの時期の休暇前の夜だ、きっとそんな馬鹿な連中なんだろうと思った。

  次の日、その日は休日出勤で普段より少し早い時間の帰宅だった。まだギリギリ落ち切ってはいない太陽に照らされている例の廃屋は、いつにもまして、不気味な雰囲気だった。
いつもと違う時間だからかな、なんて思っていると、廃屋の中から声が聞こえた。
まただ、また誰か入っているのか……そう考えていると、ふと、私の名前を呼ばれた気がした。私を呼ぶ声は、その廃屋の中から聞こえてきた。
聞こえた気がした。きっと気のせいだろう。
翌日は休日だったので、家でのんびりとしていたのだが、時々あの廃屋のことを思い出し、気になってしょうがなかった。

  また新たに一週間が始まった。いつもと変わらぬルートで通勤し、仕事をこなし、帰宅する。
例の廃屋の前に差し掛かる。ここで名前を呼ばれたことを思い出し、立ち止まる。少し門の柵の隙間から覗いて見ても、もちろん誰もいない。そりゃそうだと、立ち去ろうとする。
……が、また名前が呼ばれた気がする。
先日呼ばれたときよりも、はっきりと呼ばれた。
確かに呼ばれた……気のせいだというにははっきりと聞こえた。だが、少なくとも、見える範囲には誰もいないようだ。肝試しに来た若者も居ないようだった。
試しに門を押してみると、門は抵抗なく開いた。
どうしようかと迷ったのだが……また名前を呼ばれた。

  その声に誘われるように、その廃屋の敷地内に入る。庭は雑草が膝の高さまであったが、玄関までの道は肝試しに来た人たちに踏まれているのだろう、雑草は倒れているので歩きやすくなっていた。
その道を通って、玄関へ行く。そこで、また名前が呼ばれる。明らかに、その廃屋の中から聞こえてくる。
   玄関のドアを開ける。やはり、私を呼ぶ声が聞こえてくる。奥へと入っていく。中は荒れ果てている、誰も居ないのは明白だが、やはりどこからか声が聞こえてくる。どこか奥の方の部屋から聞こえてくるようだ。
  その声はまるで奥へ誘うように私の名前を呼ぶ。私はその声の主を探すのだがやはり見つからない。一番奥の部屋のドアを開ける直前に、今までで一番はっきりと、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。扉を開け、部屋に入る……そこには何もなかった。
正確には、家具等はなかった。

続く

後編はこちら↓ 


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