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自分を突き動かしたり、心にジーーンとくる言葉を書いて下さっている、 天才達の素敵なnoteを集めています。(あくまでも私基準です)
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記事一覧

仕事には慣れても、過ぎる時間には慣れないように。

大学を卒業し、新入社員として働き始めて3週間。 そして今週は現場に配属されて1週目である。 覚えることや新しい経験が多すぎて、「まだ3週間なのかー」と思う反面、1日1日は気づいたらあっという間に過ぎ「もう次の日だ」、という感覚的にとてもおかしな状態である。 一つはっきり言えるとしたら、 めちゃくちゃ充実している ということ。 何もできない自分に無力感を覚えることもあるし、何か出来るようになったことに喜びを感じることもある。 その一つ一つがどれも刺激的で強烈な経験

「意識高いね」の印象が誉め言葉に変わった

「意識高いね」 小中学生の頃は、どこかその言葉が怖かった。 「意識高いね」の後に何だか『(笑)』がついている感じがした。 真面目にやっていることがバカバカしい、どこか気だるそうにやっている方がカッコいい、そんな風潮があった気がする。 「うわ~、意識高っ(笑)」 自分に対してではないが、そんなことを言っている人を見たことがある。 その風潮に真正面から戦いを挑めるほどの覚悟が僕にはなかった。 どこか仲間外れにされるのが怖くて。 ただ完璧に気だるそうに演じるほどの覚悟はな

どこかで出会って惚れた言葉集

小学生のときの学級通信に 当時担任だった先生が 名言のようなものを集めて掲載していたのを覚えている。 その中の言葉の1つが気に入って 暫くお守りのようにして心の中に閉まっていた。 私は、言葉がおもしろいと思う。 つたない表現で申し訳ないけど 例えば優しい言葉に出会うと 温泉に全身浸かったときの 体がすーっとほぐれるあの瞬間のように 心をすーっと癒してくれる。 触れた瞬間にやる気が湧いてくる言葉もある。 偶然聴いた歌詞が今の自分の状況にリンクして 泣く

トロントで出会った皆は、自分のタイミングで生きていた

私が大学生だった頃 学校を卒業したら やりたいことがあろうがなかろうが すぐに正社員になって働くという 1本道のコースしかないと思っていた。 でもトロントで出会った人は 人生を自分のタイミングで歩んでいて、 そんな人たちの生き様をじっと見ていると 何だか安心して 肩の力がすーっと抜ける。 ✳︎ ブラジルからやってきた友達は 高校を卒業して やりたいことが分からなかったので 1年何もしない期間(ギャップイヤー)を設けた結果 ITに興味が湧いて、大学

コンテンツの未来を考える

今日は「コンテンツの未来」というテーマで話したいと思います。 最近、僕がよく考えているテーマです。 このような内容を語り合える友達はいないので、ここに投稿します。 僕が初めてコンテンツを作ってネット上に投稿したのは中学2年生の時で、約7年前です。当時はYoutubeに開封動画などを十数本投稿しました。 そして、約1年前からnoteを始めました。 去年、自作曲をストリーミング配信しました。 現在、映像作品制作にも携わっています。 映像、テキスト、音楽のコンテンツを現在進行形で

年を1つ取る度に自分に期待すること

年を取る度に自分に期待していることがある。 それは、1つ、また1つ年を重ねるごとに 自分について理解が深まっていくこと。 具体的に言えば 私ってこういう人間なんだ っていうのをちゃんと把握した上で 自分に合った環境や作業、人間関係を選べるようになること。 人間という生き物は 他人のことはよく見えているのに 自分に関しては意外と無頓着だったりする。 誰かの悩み相談に乗っているときは アドバイザーになれるのに 自分の悩みとなると どう解決していいのか分か

世界は「夢組」と「叶え組」でできている

ここのところ、脳内プチテーマとして「やりたいことがある人」と「やりたいことがない人」について考えていた。 ちなみにわたし自身は「やりたいことがない人」で、今のメイン仕事のクッキー屋さんも、決して「やりたかったこと」や「夢」ではない。シングルマザーが子供と生活するのに「お金と時間がない」というのがイヤで、「ひとの半分の時間でひとの2倍稼ぐ」という目的のために、自分のできることから消去法で削り出した手段で、どちらかというと「この方法しかないから仕方ないな…」と、しょうがなく始め

Kemioは日本の国宝

「地球上のみなさんこんにちは!k・e・m・i・o、kemioで〜す!」 「ということでみなさん、先週一週間も素敵なweekを過ごせたかでしょうか〜!」 いつの頃からか、このあいさつを毎日聞くようになった。 独特の言葉づかいと、「ウチはウチらしく!」と自分のスタイルを貫く姿に元気付けられているのは、私だけではないはずだ。 kemioに興味を持ったのは、著書を読んだことがきっかけだったように思う。 「うちら棺桶まで永遠のランウェイ」。 初の著書にしてこのタイトルセンスの高さ

「好きなことして生きる」で苦しむのやめよ〜

最近「好きなことして生きる」って言って活動してる人をよく見かけるんだけど、それをみて「わたしも好きなことを探して、それを生業にしたい!」って思って苦しんでる人がいる気がする。 好きなことを生業にするっていう概念を知ること自体はいいことなんだけど、そう思うことでせっかく幸せなのに不幸になっちゃう人もいるんじゃないかなあ。 「好きなことして生きる」って掲げてる人の多くは、好きなことして生きるために好きなことして生きてるんじゃないと思う。すごくややこしいけど。 たまたま好

「思うだけでなく動く」―普通の大学生がファッションデザイナーになった話

「やりたいことはあるけど経験ないし・・・」 「もう若くないし、未経験じゃ今からじゃ無理だよな・・・」とか そんな風に思って、自分のやりたい事をあきらめようとしていませんか? 人にはそれぞれ思い描く未来の姿があります。その実現が日々の活力になり仕事やプライベートでの生きがいにもなっています。 私は31年間ファッションデザイナーとして仕事をしてきました。フリーランスとしても17年のキャリアになります。専門学校も出ておらず全くの未経験で、デザイナー志望だったわけでもないのに長い

海外で働くデザイナーになるまでの道のり。

Sugu Mizunoさんからの質問です。 「しょこたんさんが、どのようにしてデザイナーとしてのスキルを身につけ、日本人なのに海外の地で働けるようになったか?」 という回答をします。 が、多分、これは私がやったことであって、他の人の参考になるかはだいぶ謎です。 「デザイナーになる、海外の地で働く」という頂上は一緒でも、 1人1人その人によって、頂上を目指すベストルートは違うので、 どの道がSugu Mizunoさんに合うかはわかりません。 目指すべきレベ

元意識高い系学生が社会人3年目でニートして思ったこと

みやさかです。 学生の頃から、いや、もっとずっと前から意識高くストイックに生きてきて、早25年が過ぎました。 早いですね、25年。自分が25歳になるなんて、本当に起こり得ることなのか、いまだに実感のないこどもです。 雨の日も、風の日も、骨が折れようが、体が壊れようが、ずーっと全力疾走してきたつもりだったわけですが、この度、初めて失速しました。 起業準備だ!と言いながら会社を辞めたわけですが、正直、ただの失速だったんだと思います。5ヶ月弱、ほとんどなにもせず、ただただぼ

人生でいちばん大切なことを教えてくれた、あるおばあさんとの1ヶ月

人は死んでも、死なない「そういえば、そろそろ5年経つかな?」 「うん、そうだね。」 「今思い出しても、かっこいい旅立ちだったよね。」 「うんうん。あんなにすがすがしいお看取りは 後にも先にもないよね。」 かつての同僚と飲みに行くと 看護師である私たちは、決まってある患者さんの話をします。 名前は田中さん(仮名) 大腸がんで5年前に亡くなった患者さんです。 彼女は私が関わった患者さんの中でも 忘れられない人ランキングベスト3に入ります。 医師・看護師をはじめとしたスタ

好きを仕事にって言うけど結局どういうことなのか

ハッとする言葉に出会った。 全くその通りだと思ってしまった。 わたしは書店でアルバイトしたことがある。 仕事は本当に楽しかったし、心の底から経験できてよかったと思っている。しかしこれを本業にしていきたいかと言われるとちがう。 なぜならわたしが好きなのは、本のお会計をすることでもなく、在庫を並べることでもなく 『本を読むこと』だから。 もう1つ例をあげたい。 わたしはカフェで正社員として お仕事をしたことがある。 完全に好きを仕事にできたと 思っていたんだけれど