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⑬帰郷

時代が「平成」に代わったばかりの春。
桜が舞い散るピンク色の道を大きなトランクを持って1人で歩いて行く。
駅から、供養塔の建っているお寺までの道は桜の並木道だった。
空港へ向かう前、最後に立ち寄ったのは「あの」お寺だった。

「If・・もしも」って言葉は好きじゃないけど・・・
あの一件が無ければ。
あの時、違う選択をしてたなら。
あの頃「携帯」ってものがあったなら。
滅多に「もしも」なんて考える事は無いんだけど・・・
数十年経った今でも1番そう考えるのは、この頃の事だと思う。

3月20日付けで会社を退職し5日後の3月25日。
引っ越しも終わり地元の北海道へ帰る日。
前日にアパートは引き払っていたので新宿のホテルに泊まっていました。
最後の日の夜に勤めていた職場の人達が送別会をしてくれたのが新宿だったからでした。
飛行機の時間は夕方だったので、ゆっくりチェックアウトして、お天気も良かったので歩いて新宿駅へ向かいました。
駅までの途中にあった、お花屋さんに寄って小さな花束を1つ購入して電車に乗りました。
向かったのは空港ではなく「I さん」の眠る、あの お寺。
最寄りの駅から歩いて10分ほどで着くお寺までは、両脇に桜の木が並んでいる綺麗な桜並木になっていて、北海道ではゴールデンウィークの頃にようやく咲き始める桜も、東京では すでに散り始めて、あちらこちらがピンク色の絨毯のようになっていました。
お天気は良くても平日だけあって周りには ほとんど人影もなく、1人でピンク色の絨毯を歩いていくと桜吹雪の中に静かに名前の刻まれた墓碑が立っていました。
あと数日後の一周忌には、またお参りの人達が沢山来るのでしょうけど・・・
その時は、まだ静かで暖かい春の日差しの中、時々風の音がするくらい。
お花を供えたり、お水をあげながら、ゆっくりとお話しが出来ました。
考えてみると、Ⅰさん と2人で ゆっくり話しをするのは、その時が初めてだったと思います。
他のメンバーがワイワイ騒いでいる時も、ちょっと離れた場所でその様子を見ながら笑っていた Ⅰさん。
幼さの残る笑顔と、どこか儚げで物静かな雰囲気なのに一度マイクを握ると圧巻の歌声とパフォーマンスで、その場にいる人達を一瞬で引き込むほど魅力的なヴォーカリスト。
そんな アイドル的な人気ヴォーカルを中心にして、上を目指して皆で頑張っていたメンバー達を置いて、どうして何も言わずに突然逝ってしまったのか・・・。
あの日の Ⅰさん の行動で分かっているのは、自宅近くにあった大きな団地の外階段で起きた転落事故・・・。
あえて「事故」と記載させてもらいますね。
それは、何年、何十年経っても 皆んなが「そうだ」と信じているから。

Ⅰさん。
だって遺書も何も残されて無かったし、弟のように可愛がっていた リーダーEさん にも何も話してなかったでしょう?
警察も捜査していたけどEさん達は「きっと、そこから見える場所に鳥の巣でもあったんだろう。アイツはそーゆーヤツだった!」と言って譲らなかったんだよ。
Eさん が言い出したら頑固なのは良く分かるよね?ww
そんなEさん達も、ようやく前に進み始めたよ。新しくアルバム出すんだって。
あ。メンバーの事は、私よりも本人達から聞いてるから知ってたかな?
皆んなの事、ちゃんと見ててあげてね。私は地元に帰る事にしたから、今日からは、ちょっと離れた場所になるし、今度はいつ来れるかも分からないの。
ごめんね。
だから皆よりちょっと早いけど、お花 先に置いて行くね。

そんな事を話しながら1時間くらい居たかな?
最後に「ばいばい。」と手を振って、お寺をあとにしました。
帰りは少し前に歩いて来た道を泣きながら反対方向へ1人歩きました。
風に飛ぶ桜を眺めながら ゆっくり、ゆっくり、その風景を忘れないように、涙が溢れる目に焼き付けながら・・。

駅まで戻り今度は空港へ向かいました。
空港までの間も窓の外を眺めてたら涙が出ちゃって空港に着いた頃にはヒドイ顔。
しょうがないので空港に着いてすぐに真っ黒いレンズのサングラスを1つ購入して、その場でかけました。
飛行機に搭乗してみると、そんな時に限って窓側で外の景色がよく見える席だったもので、離れて行く東京の風景を眺めては、また泣いてました。
ほぼ満席状態だった飛行機の中は、どうせ知ってる人も居ないのですが、隣に座っていたサラリーマン風のオジサマは優しい方だったようで・・・
本当は気が付いていたんでしょうけど、見て見ないフリしてくれてたようです。
まぁ~でも、たまたま飛行機で隣に座った二十歳そこそこの女の子が「いかにも」な真っ黒いサングラスをかけたまま、ずっと泣いていたら?大抵の男性は困りますよね。ww
もしも?これを読んでくれている方で、そんな場面に遭遇した時は、どうぞ「知らんふり」してあげて下さいね(笑)

そんなこんなで数年間だったけど、色々あった都会での生活は終わりを迎え、それからは今現在も暮らしている北海道での生活が、また始まるのでした。

まだ若い頃に、身内でも親戚でも無い身近な人の「死」に関わるような経験をする人が、どのくらい居るものなのか?は、分かりませんが・・・
この頃の経験は数十年後「今を生きてる人を応援したい」「病気と向き合う人を少しでも支えたい」それが例えペットだとしても、頑張って生きている「小さな命を救いたい」
そんなボランティア活動をする原動力になっていたのは間違いなく・・・
あの時、日比谷野音の空に響いた リーダーE さん の「生きてるヤツが好きだぜ!」って言葉は、今も私の根本にあります。

このnoteも、ここ数回は、ますます長くなってしまいましたが・・・(汗)
それがどんな理由だったにせよ「1つの命」が、この世から消える。と、言う事が周りの人だけじゃなく、残された人達にどれだけの影響を与えることなのか?って事を少しでも分って欲しくて書きました。

**この話しを最初から読んで頂くには⑨~⑫コチラから↓↓読んでみてくださいね**

さて。波瀾の多い 私の人生、まだこれで終わりじゃありません。
次回からは、シングルマザーとして2人の息子を育てて行く話に進みますね。。。


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