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⑩3月の冷たい雨

その日は、みぞれ交じりの冷たい雨が降っていた。
私は20歳、Gは25歳だった頃の話し。

メンバー達と仲良くなった頃、そのバンド●●●の所属事務所は渋谷にありました。
私達の通う学校が原宿にあったので場所が近かった事もあり、ライブの日以外でも、ちょくちょく顔を合わせれば一緒に飲みに行くようになっていて、次のライブ場所や参加するイベントをフツーに教えてくれてました。
いつも一緒に居るメンバーも大体決まって来ていて、リーダーのEさん。ドラムのG。サックスのHくん。が定番で、それにギターのFさんが、たまーに入るくらいでした。
私達の方も、私とボーカルIさんファンのB、そこにリーダーファンのCがよく居ましたが、ドラムのGファンのDちゃんは バイトや家の都合で時々入るくらいでした。
メンバー達の話によると、私達が ちょうど夏休みの時期に、3日間の日程で「神津島」で行われるイベントに出演する事になったらしく、フェリーの時間やスケジュールも教えてくれたので皆んなで一緒に行く事になりました。
もちろん、向こうは仕事だったのでマネージャーさんやスタッフさん達も居たものの3日間のうちライブは1日だけだったので、その日以外は ほぼ自由行動で島に向かう船の中から ずっと一緒に遊んでましたね〜(笑)
メンバー達にとっても、ちょっとした「夏休み」を兼ねていたようです。
まだ、観光で混むには少し早い時期だった事もありビーチや島の中も混雑する事も無かったので、皆んなでスイカ割りをしたり、砂浜で日焼けしながら寝転がったり、2人づつに組分けしてビーチボール対決したり・・・まるで、ただの旅行に行ったようでした。
宿泊場所は、さすがに別々でしたが小さな島の中ですから、私達が泊まっていた民宿からメンバー達が泊まっていたホテルまで歩いても数分だったので、晩ご飯や打ち合わせが終わった後に、また集合しては朝まで一緒に遊んでましたね。どんだけ遊ぶねん(笑)
遊び過ぎて疲れるくらい遊んでたので、飲み物を買おうと、たまたま私が1人で買い出しに行った時・・・気がつくとドラムの Gも来てたので、一緒に歩きながら話しをしているうちに「お前はFがいいの?」と聞かれ「そーだね♪ギター弾く手が好きなんだよね〜♪」なんて言ってると・・・突然、真顔になって「俺じゃダメか?」と一言。
「は??」
とにかくビックリで「えー??だってG はD ちゃんだし・・・」と、言ったものの頭の中はパニック状態。
「それはファンとしてだろ?そーじゃなくて聞いてんだよ」
すぐには答えられず「え?えーっとーそー言われても・・」と困ってると「ま。考えといて♪」と笑いながら先に歩いて行っちゃいました。
それからは、頭の中でグルグル色んなこと考えてましたね〜
確かに、私が「Fさん好きー♪」と、言ってもファンとしての事で、それ以上なんて考えた事も無かったし。
だからと言って、ここで「Gに・・・」なんて言ったら、昔のように「取られた」とか言われるかもしれないし。
その後、みんなの居る場所に戻るとGはフツーにしてました。
大人だな。(-_-)
これは困った事になったぞ。と、とりあえず友人Bに相談すると・・・
「Gも、やるね〜♪」と大騒ぎしながらも「そーだと思ってたよ。見てて分かったでしょ?気がつかなかったの、あんただけだよ〜♪」と笑ってました。
うっそ?早く教えてよ〜(汗)状態でした。
その日の夜はビーチでリハーサルがあり、皆んなで眺めていましたがリハが終わってからリーダーEさんに「ちょっと買い物手伝え」と、呼ばれて行くとGと私の事を知っていたらしく相談に乗ってくれて「ちゃんと考えてやれよ」って事でした。
「でもGのことはDちゃんが好きだから」って言うと「それとこれは違うだろ」と、Gと同じ事を言ってました。
それからは、Gのアピールが、あからさまに見え過ぎて私1人がアタフタしてましたが…そう言われれば、そーゆーのって前からあったかも?って、気がつきまして…やっぱり、私が気付いて無かっただけなのかもしれないです。はい。
次の日は、ライブがあるので他のファンの人達も島へ来て、前日までのノンビリ感が嘘のようにアチコチに人が溢れてました。
あれだけ遊んでたのに、流石はプロ☆最終日にあったライブはキッチリ決めてファンの人達も大盛り上がりのうちに無事終了。
次の日は朝からフェリーに乗り東京へ戻りました。
帰りのフェリーには、ライブに来ていた沢山のファンの人達も乗っていたので、さすがに自由行動はマネージャーさんからの許可が下りず、メンバー達はフェリーの中にある部屋に監禁状態で帰されてました。(笑)
先に桟橋を渡る私達をGとH君が、小さな「まぁるい窓」から眺めて、つまんなそうに手を振ってるのが可笑しくって、振り返って見ては皆んなで笑いながら帰りました。
でも…これだけ一緒に行動しているとマネージャーさん達でさえ仲良くなるのに・・・ボーカルⅠ さん。とは、ほぼ顔を合わせる事は無かったです。

そうして、楽しい数日間の神津島旅行は終わったのでした。
私は、そのあとすぐに北海道へ帰省したので、次に皆と会うのは夏休み明けになりました。夏休みが終わるまで実家にいたのは、色んな事を考えるのに、ちょうど良い時間になりました。
東京へ戻ってから「こっちに戻ったら連絡して」と、Gに電話番号を渡されていた私は、電話をして初めて2人だけで会いました。
それから何度か会うようになり・・・結局、私の出した答えは「YES」でした。

学校は夏休みが明けると就職活動に入るため授業もほとんど無く、課題を提出しに行く程度で友達ともあまり会わなくなってました。
私としては、ずっとDちゃんの事が気になってはいたものの、ちゃんと顔を合わせる機会も少なくなっていて、結局そのままになっていました。

当時は、今のように仕事が沢山ある時代では無かったので就職活動は大変でした。
特に、デザイン関連の仕事は特殊で、就職先が限られるので何度か面接に行きましたが中々決まらずにいました。
ちょうど、その頃、●●●も仕事が増え、ミュージックステーションやTVの深夜枠で自分たちの冠番組を持たせてもらえるようになり、音楽雑誌にも頻繁に掲載されるようになってました。
ライブ会場も ライブハウスから、もっと規模の大きいホールに移って全国へツアーへも行くようになってました。
そんな忙しい中でも、GやリーダーEさんは、私の就職の事も相談に乗ってくれて、Eさん なんて「どこも決まらなかったら、ウチのファンクラブ事務所で働けばいいさ」とか、言ってくれてました。

Gは、就職先を事務所の近くにして「一緒に住むか?」なんて、話しもしてるくらいでしたが・・・
それと同時に言ってたのが「今は彼女は作らない事にしてるから彼女じゃない。だけど今1番好きなのは、お前だけだから信じてて」
その時は「う~ん。難しい。」とか言ったけど、今ならその言葉の意味が理解出来ます。
インディーズからプロになって売れていくバンドには、売れたら売れたで色々な問題が出て来るもので…ちょうどその頃 ●●●も、そんな時期になっていたんだと。。。
リーダーEさんはバンドを組む前から Ⅰさんとは仲良しで、弟のように可愛がっていたので1番大変だったと思います。

結局、私は新宿に本社があるデザイン事務所に就職が決まり、冬になる頃には引っ越しの準備や卒業制作、成人式で地元に戻ったりで忙しくなり、Gもレコーディングで地方のスタジオに缶詰状態になってたり、ツアーなども増えて忙しくなっていたので、中々会えなくなって行きました。

年が明けて女子寮からの引っ越しも終わり、3月になって学校も無事に卒業。
卒業式が終わってから仕事を少しでも覚えるため、就職先の事務所へ通うようになって、いよいよ 四月一日から正式に働く事になっていた・・・
3月29日
朝から冷たい雨が降る寒い日でした。
ひとり暮らしを始めたばかりの家の電話が鳴り、突然の驚く連絡が入ります。

ボーカル Iさん  急逝の知らせでした・・・。

※※お願い1※※
今回の話しはメンバー達の所属事務所や、現在も現役で活躍中のミュージシャンの方などが出てくるため、全てアルファベット・トークとさせていただきます。分かりずらくて申し訳ありませんが、ご理解ください。m(_ _)m
※※お願い2※※
アルバム関連やライブの時期などは、出来るだけ手元に残っている資料を基に書くようにしていますが、何分私の記憶に残っている範囲で書いていますので、多少のズレがあるかもしれません。その点は お許しいただけますようお願いいたします。m(_ _)m


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