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一生忘れない怖い話の語り方

友人が実用書をよく読むと言うので、私も何か役に立つものを読んでみようと思い、書店の啓発・実用書コーナーを訪れたのだが、気が付くとこの本を手に取っていた。

先日「月刊ムー」を読みながら、私やっぱり怪談好きやなーと思ったせいだろう。独身時代、小学生の頃から狂ったようにネットで怖い話を読み漁っていたし、ホラー映画もよく見た。

オカルト的思考

オカルト的思考の特徴は、「繋がりそうにないものが繋がっていく」ことにあります。例えば「藁人形に釘を打てば、憎い相手の体が壊れる」といった類感呪術に端的に示されているものです。p57

オカルトが好きな人はほぼ必ずと言っていいほど、この能力が備わっていると思う。いや、鍛えられていると言った方が正しいかもしれない。

簡単に言えば“こじつける能力”だ。何の役にも立たなそうだが、これが有ると無いでは人生のお楽しみ度が全然違う。

それに文章を書くのにとても役に立つ。小学生の頃の読書感想文や、学生時代に卒論を書くにあたって、この能力がとても役に立った。

読書感想文など特に、みんながいかにも取り上げそうなポイントで感想を書いても競合相手が多い為に、先生の印象に残るのは難しい。が、この“こじつける能力”があれば、誰も取り上げなさそうな地味で薄いネタでも永遠に文章が書けるのだ。

それに雑談力だって格段にアップする。オカルトにも意外と実用的な面があるわけだ。

言葉の先行が先入観を作る

例えば「金縛りにあいました」「あれは地縛霊でしょうね」と体験者が述べたとしても、それを鵜呑みにしてはいけません。(中略)客観的な情報として捉えるのです。それを「金縛り」「地縛霊」と一般化しないのが実話怪談の第一歩です。p82

ある単語が先にくると、どうしてもそれに対するイメージが先行してしまうと思う。

地縛霊の話だと思って聞いていたら実はヒトコワな話だった、とか。予想外の展開に脅かされるという事がよくある。しかし、こういうのは別に怪談に限った話でもない。

“一般化する”というは、寄り添いとはかけ離れた行為なように思う。人の体験を一般化するというのは、つまり、「あなたの体験は世間一般によくあるものですよ」と言っているのと同じだ。

それぞれの人々をカテゴライズすることで理解を深める事はできるが、一般化して先入観でもって人を判断してはいけない。“言葉”とは、そういったものの為にあるのではない。

書くカタルシス

ひたすら個人的で一回性の体験である不思議体験は、体験者が誰にも語らず黙っている限り、その現象が存在したことにはなりません。p155-p156

私がものを書く理由は、まさしくこれだと思う。自分が考えた事、体験した事をどこかに残しておきたいと思ったのだ。

今どきどこででも書き残すということはできるが、あんまり自分の知ってる人がよく見るのは気恥ずかしいし、でも誰も読んでくれないというのも寂しい。

その点、このnoteはちょうど良い。誰か1人くらいは読んでくれるけど、わざわざリンクやタグで飛んできて読むという人は稀だ。

自分の内面を探り、自分が何であるかを発露させる。そういった意味では、“学び”も“芸術”も同じカテゴリーだろう。

実践

「母の顔」

私が小学生の頃だ。その日、学校から帰ると家には誰もいなかった。玄関の靴を確認したわけではないが、明らかに家の中には誰の気配も無かった。

おそらく母は買い物にでも行っているのだろうと思って、テレビをつけて暇を潰すことにした。帰宅して母がいないということは、以前にも偶にあったのだ。しばらくすれば帰ってくるはずである。

10分ほどテレビに見入っていたが、ふと、特に理由も無く、後ろを振り返って両親の寝室の扉に目をやった。

扉は少し隙間が空いており、そこからヒョコっと母が顔だけを出していて、目が合うとすぐに引っ込んでしまった。

一瞬だったが母の姿が見えたので、私は「なんだ、寝室にいたのか」と思い、またテレビに向き直って番組を見続けた。

しかし、母は寝室で何をしているのだろう。物音ひとつしない。昼寝をしているのか…いや、母は昼寝はしない人だ。それに、相変わらず人の気配が感じられない。

ずっとテレビを見ているが、後ろが気になって仕方がない。番組の内面も全く頭に入ってこない。

あれは確かに母の顔だったが、見たことの無い表情をしていた。笑っているでもなく、怒っているでもなく、無表情であった。しかしそれは非常に不自然で、“作った真顔”という感じだった。

何度も寝室の中を確認しようと思ったが、どうしてもできない。後ろを振り返ることすらもできない。まんじりともせず、テレビを見ている事しかできなかった。

それからまた10分ほど経った頃だろうか、急に玄関がガチャッと開いて、パタパタと人が急ぎ足でリビングに向かってくる音がした。

「お待たせ〜」と、母が少し息を荒げながらリビングに入ってきた。なんだか急に“いつもの空気”が家に戻った。

ああ、やっぱりさっきのは見間違いだったか、と思い、その後特に変わった事も無かったので、この事はそのまま忘れてしまっていた。

今、私は結婚して当時と同じ家に住んでいる。リビングのソファーに座って寝室の扉を眺めていると、ふと、件の出来事を思い出したので、今こうして書き留めている。


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