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北から運ばれてきた言葉。

世の中には稀に、何気ない日々の瞬間の中、ほんのひととき共に過ごした時間で、
物凄くその後の自分自身の在り方を変えてくれるものを授けてくれる人に出逢うこともある。

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時は2013年、舞台はオーストラリア西海岸にある、当時人口600人ほどの小さな町。
そこに辿り着いて2日目の私はワーキングホリデー(ワーホリ)滞在中の身。ビザ期間をもう1年延長し、その大地を巡ることができる時間を伸ばすために必要な、農場仕事(ファームジョブ)を探す旅の道中にいた。

*ワーキングホリデー(オーストラリア):
・日本&オーストラリア二国間協定に基づき、18歳〜30歳(31歳の誕生日が来るまでに申請)が異文化の中で休暇を楽しみながらその間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める制度
・1年目のワーホリ滞在中に88日以上、オーストラリア政府指定の住所地で季節労働(=主に農場仕事、例外稀にあり)をすることで、最長2年間の滞在が可能となる
(2013-2014年当時。2018年末以降は条件が追加され、2年目滞在中に6ヶ月以上季節労働従事すると、さらにもう一年=合計最大3年滞在できるようになっているとのこと)
・日豪間ワーホリ制度は1980年から始まっており、実はもう40年もの歴史がある


その町にやって来る前の拠点、西オーストラリアの州都・パースで得た、
たった一つの小さな情報「ニンジン農場があるらしい」を基に辿り着いたところで、
他に全く当てが無い状況だった。

とはいえ、辿り着きすぐ目にした、強い風が吹き続く海岸線、
ただシンプルで何も無いエメラルドグリーンのビーチを照らすインド洋の夕陽の美しさにあっという間に心奪われていた私は、
これから始まる明日何が起こるか分からない生活に、物凄くワクワクしていたことを覚えている。

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その先暫くの拠点として滞在していた宿は、当時西オーストラリアでは最も綺麗で居心地の良いバックパッカーとも耳にするほど開放的で、
毎年1月にウインドサーフィンの世界大会が開催される町に所在することもあり、年間通して窓から入って来る風が本格的な夏のシーズンを迎える直前に、自然のクーラーと化していた。
辿り着いたタイミングでは、観光オフシーズンの終わりかけだったこともあり滞在者数もそこまで多くなく、
ウインドサーフィンやカイトサーフィン好きな西洋顔の方が2~3ヶ月のロングホリデーを静かに楽しんでいたり、
オーストラリアラウンド旅の道中立ち寄った方々などが目立っていた。


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そんな海辺のこじんまりとした町での生活のはじまりに、突如遠くから私の耳に届いた1台のバイクマフラー音。
降り立ったその主はアジア人の顔に、よく目にしてきた典型的な日本人の笑顔を見せてくれていた。

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宿へのチェックイン後、荷物を下ろしラウンジに腰を下ろした彼。
長旅の道中のようで、辿り着いたこの町や周辺のことを調べる時間も兼ねて、そこにたまたま居合わせた私とも話す時間をくれた。

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聞けば、偶然にも同い年。
そして同じく、ワーホリを利用しオーストラリア滞在中。
でもその彼の口から飛び出してきたストーリーは、当時まだ「旅」も何も知らない私がほぼ同じだけの時間、この世で見聞きしてきたものとは全く交わることのないものだった。


「この町に辿り着く前は元々、西オーストラリア北方の小さな町のファームで働いていたんだ。セカンドビザ取るのと、次への貯蓄のため。」

「最後の仕事を終わらせた後、ここに辿り着くまで大体、20日かけて西海岸を南下してきた。一人で。バイクで屋根ないし、思ってたよりこんな真っ黒になった。オーストラリアの日差し、やっぱ強いんだねー。」

「西海岸を走って、メイン道路から少し横入らないと辿り着かないこの町にやってきたのは、道中地図を見て、たまたま見つけたから(なので宿の予約はしてなくて、今日到着して部屋の空きを聞いた。空いてたからよかったー)。」

「働いていた町で日本人の彼女できたんだけど、その彼女が先に日本帰国した後、俺の実家で暮らしてる。彼女と俺の妹カップル、それから俺の親。
だけど、うちのおかんが隣の家のおっさんと浮気して、それを解決しに一旦帰国して、おっさんに真実吐かせて、それ収集ついたあとにまたオーストラリア戻ってきた。」

「(オーストラリアの)ワーホリ終わったら、ニュージーランド、それからアジア周りに行く予定。あ、この腕のやつ?タイで竹で彫ってもらったんだー。自分でけじめと決心を込めて。」


想像もしたことない情景がどんどん飛び出て来ることに、ただ興味持ち、ワクワク聞いていた。
生きていて、そんな出来事に遭遇することってあるんだ、って。

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出逢って1~2時間で突如興味深すぎる話を曝け出してきたそんな彼が、
次の瞬間、ふと持ち出してきた話題。



「好きな言葉ってある?」


私の中からとっさにその答えは出てこず、少し時間が経過して出てきた言葉が「初志貫徹」。もともといらない”完璧主義”を持ち悩んできた幼少時の頃から、なんとなく好きだった言葉。
でも、どこか自信持って質問の答えにはできず、その場では口から飛び出して来ることはなかった。

そして間を開けず、彼がゆっくりと口にした言葉。


"Slowly, Smily. Never Try, Never None."


「ある時出会った、とても良くしてくれた人がくれた言葉なんだ。
その頃東南アジアにいたんだけど、結構俺悩んでいて、そんな時にくれた言葉。
それ以来物凄く好きで、一番大事にしているやつ。」
「"徐々に徐々に、ゆっくりと。笑ってね。挑戦しなければ何も知ることはない。" こんなニュアンスでくれたみたい。すごく素敵な言葉でしょ。」


その言葉を私に託してくれた後、彼は夕陽が照らす町に出て、散歩と夕ご飯の買い出しへ。
残った私はその言葉の意味を噛み締め、何度も言い聞かせた後、同様に夕陽を拝みに行った。

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何事もやってみなければ、欲しい現実はやってこないし、
どうせ色々挑戦していかないといけない状況ならば、誰よりも楽しんで行動した方が良い。
そして、思いつくことは全て、やってみる。


翌日、他の宿泊者のみんなと一緒に集合写真を残し、別れの挨拶も束の間、あっさり次の旅へと立っていった彼が残していってくれたこの言葉は、
想像以上にその後の毎日を奮い立たせ続けるための燃料となった。


***


スーパー、カフェ、Pub、ピザ屋さん、ガソリンスタンド、タイ料理屋さん、コンビニ、シーフード屋さん、薬局、不動産屋…そして美しい海と砂丘。
全てほぼ一つずつしかないこの町でできることは限られている。
何も進展がない場所に居続けるのも前進しないので、2週間集中して頑張ろう、と決めた。


「Do you know anywhere I can get a job for 2nd visa?」



毎日時間を決めて、英語の学習と、宿にやってきた人々やそんなに広くない町中にある尋ねたお店、歩いている途中に出会ったそこまで数は多くない人たちに、拙い英語でとにかく声を掛け続ける日々。
驚くことに、出会った方々一人も残さず、何かしらのヒントをくれた。


「ゴメンね、私は何も情報なくて力になれないけど、多分あそこのお店の方が何かしら知ってるはず!一回尋ねてみて。」

「あそこにある不動産屋さんならば何かしら知ってるはず!」

「明日ちょうど、ワーホリで働き口を探している人も雇っている団体がこの町に来るから、この時間に来てみて。何かヒントもらえるかもしれない!」

「この町の近く、といっても車で30分くらいの場所にあるね、ニンジンファーム。直接事務所に足運んでレジュメ(履歴書)持って聞きにいった方が良さそうよ。」

「Pubだったら労働者も含めて集まるし、ビールジョッキ交わしながら話聞きにいったら面白い話出て来るかもよ?」

「(Pubで飲みながら)あそこの人、ニンジンファームで長く働いている人。仕事の空きないか、聞いてもらってみようか。」

「ニンジンファームのスーパーバイザーの家、知ってるわよ。近所の人と知り合いだから、連絡先知らないか聞いてみるわ。」

「私の家のとなりのそこ、スーパーバイザーの家。これ電話番号だから直接掛けてみたら?」

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少しずつではあったけれど、仕事を得られる状況まで近づいていく感覚はあった。
話を聞いていく中で、どうやらこの町に居ながらできる仕事は、パースで聞いてきたニンジンファームか、町中にあるらしいビーフジャーキー工場の二択であることは理解した。

宿でも幸いなことに、海のアクティビティ好きなロングホリデー滞在者が少なくないこともあり、
時間を持て余して何か楽しいことないか探していた方には、車を出してもらい、往復200km離れた町や赤土粘土広がる内陸エリアまで仕事探しの旅に付き合ってくれた。

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そんな時間を過ごすこと、ちょうど2週間が経った日になんと、
ニンジンファームのスーパーバイザーから、拠点にしていた宿のレセプション宛てに電話がかかってきた。
たまたま外に出ておらず、ラウンジで他の宿泊者、その後やってきた先にニンジンファームで働いていた台湾人メンバーの子たちと過ごしていた時に。


「明日から仕事これるか?仕事場までの足は自分で用意できるなら、明日朝6:00に来て。可能なら返事は1時間以内に頂戴。」


その前日、前述のビーフジャーキー工場での仕事トライアルをもらってこなしていたこともあり、
そのまま他に見つからなければ、そこの工場で働く予定になりかけていた時だった。

だが私は当時、自分の足を持っていなかった。
週に1〜2本のみ走る長距離バスは不便だし、パースからやってきた時も語学学校の時の友人の車で、町まで送ってもらっていた。
農場仕事の場合、仕事場から迎えがくる場所も少なからずあり、
その町でも車の迎えがある労働者がいる様子も見てきていたので、てっきり仕事を得られれば送迎はついてくるものと思っていた。

その場にいた周りの子たちは、歓喜の声を上げてくれている。
けど、足がないのでこのままだったら、働かせてください、とも言えない。
車を買うにしても、当時十分な資金があるとは言える状況ではなく、
仮に購入できる車があったとしても、明日から仕事に自分で行ける状況を作るのは難しい。
となると、せっかく電話が来たところ残念ではあるけど、ビーフジャーキー工場で働く選択肢をとるか。

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そんなことを考えていたところ、
かれこれ半年以上ニンジンファームで働いていた台湾人の女の子が声を上げてくれた。


「私の友だちがビーフジャーキーファクトリーで働いているんで、今聞いたんだけど、そこの仕事だと2nd Visa取得の対象外みたいよ。」


ナイス情報。これ知らなかったら、私はそのまま仕事だけ開始し、
永遠にビザ取得条件に辿り着くことはなかった。
ここまで来たら、あとはなんとしてでもニンジンファームでの仕事ポジションを得るしかない。

とはいえ、周りの子たちに車の座席に空きがないか聞くものの、皆満席とのこと。
そうなると、毎日宿の人誰か見つけて早朝から送ってもらうことも難しいし、
やっぱり、このチャンス諦めるしかない・・・のか。
そしてそれ以上に、この2週間で長く住みたくなったこの町から離れないと行けなくなるのか。





と思っていたところにやってきた、最後の一声。



「私の車、一席なら空けられるよ!」


ラウンジの端っこに腰掛けていた、最近仕事を始めたばかりという台湾人女子3人組のうちの一人が、声をかけてくれたのだ。


大慌てでスーパーバイザーに電話し、晴れて頑張ってきた毎日が実った瞬間であった。

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この不思議な毎日の始まりは、この町にやって来る前にいたパースの時に遡る。


語学学校卒業日の約1ヶ月前から英語で仕事探しをするために、レジュメ添削や必要な言い回しを一緒に練習してくれた、プロテスタント教会で開催されていた英語教室で出会ったオージー。

その英語教室に連れていってくれた、元ルームメイトの韓国人ガールズ。

たまたまWoolworthsという現地スーパーチェーンで買い物中に出会って仲良くなり、ファームジョブを得るための秘訣を伝授、パースを拠点に郊外への仕事探しに車で連れていってくれた、韓国人の男の子
(雨降る中、はるばる辿り着いたファームのマネージャーに会えず、入口の門のところにレジュメとメモ「これを見たら連絡頂戴!」を貼り付けてきたのは良い思い出)。

「小さな町でニンジンファームを見つけて働いていたことある人が職場の先輩にいる」と言ってくれ、私に”それだ!!!”と直感を与えてくれた日本人男性。

その男性が友達で、ファームの情報知ってるかもしれないから紹介するよ、と引き合わせてくれた、元ハウスメイトの韓国人ガール(さっきのガールズと他の子)。

パースからその小さな町への移動を手伝ってくれた、語学学校で出会った国籍不明アジア系の男の子(今も数少ない、連絡取り合っている子で今はニュージーランドにいるらしい)。

パースにあり次へのヒント欲しさに飛び込んだ現地エージェントの勉強会で出会い、ファームジョブ探しに必要な道具を教えてくれ一緒に買い出しに行き、
その後別々の町で仕事探しに挑戦しつつ、私と情報交換を続けてくれた日本人女性。

仕事探し大遠征ドライブに何度も付き合ってくれた、ドイツ人サーファー兼コックさん。


ここには綴りきれない程の出逢いを経て辿り着いたゴールであり、次への始まりであったことを、出逢った皆さんへの感謝の意を込めて、最後に記しておきたい。

そして、色んな物事に意識をとられて行動にブレが出やすい私を諦めさせず、真っ直ぐに仕事探し一本のための行動をとらせてくれたのは、
紛れもなく広大な大地の北から私の心の燃料を運んできてくれた、彼であることは間違いない。


その後彼のことを聞いたのは1度だけ。
その7ヶ月後に、前回の話で出てきた、ヨルダン・ペトラ遺跡で出逢った方の口から。
どうやら、同じ町で働いていていた盟友だったらしい。

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東南アジアを経て、3000km以上彼方まで続く北方から彼が走り運んできてくれたその言葉は、あれから7年経過した今でもLINEやFBのプロフィールなど、
自分の目につき、事あるごとに自分を奮い立たせてくれそうな場所に置き続けている。

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