見出し画像

生命 -いのち-

きぼうのいえに住んでいる
直は、妹を自死で亡くしていて
シェアメイトの
のりこは、父親を自死で亡くしている。

そして今日、
わたしも
身近な人が自死で亡くなった
というお知らせを受けた。

自ら生命を落とすのは
地球くらいなんじゃないかとおもう。

この、社会
この、システム
この、構造

どんなに、
内側に目を向けたって
どんなに
内側から全て始まったって

苦しいひとは、たくさんいるのが
今のこの地球の事実。

繊細な人ほど
優しい人ほど
真実が見える人ほど

追い詰められたり
苦しんだり
自分を殺さざるを得なかったりする。

本人が死を選ぶこと自体には
わたしたちは何も言えない。

それが本人の意志だった。
それが本人の選択だった。
できることはそれを尊重することだけ。
その選択の背景にあったものに
想いを寄せることだけ。

それでも、
それでも、
たくさんの後悔や
無念さを残すのが、自死という
この世の去り方なのだろう。

わたしに何ができるのか
わたしは何をしたいのか
問うて問うて、問いまくってる。

ほんとうに苦しいひとは
ほんとうにつらい人は

どんなにこの世に
『居場所』があったって
来れないんだよ
動けないんだよ

わたしが群馬で
きぼうのいえやってたって
本当につらい人は来れないんだよ

そう思った。絶望したのかな、わたし。

その今日知らせを受けた
わたしのお友だちも
『会いたい』
『声を聞きたい』
『ぎゅーってされたい』
って生前わたしに連絡をしてきてくれてた。

でもわたしは、そのどれもできなかった。

時間が合わなくて電話できなかったし
「自分で自分をぎゅーってしてあげて」
としか言えなかったし
「群馬にいるよ!おいでよー!」と言ったきり
彼女は来ようとはしてなかった。

わたしは、動きたいんだ。
自らの足を動かしたいんだ。
待ってるよりも、行きたいんだ。

その方が、わたしらしさを感じるのだと
わかった。

わたしは
繋いだ手のぬくもりを
生命のあたたかさを
絶対的な安心を
広げてゆきたい。

わたしの中にも
わたしの外にも。

生きるってことは
生活費を稼ぐことじゃない。

生きるってことは

生まれるその全ての感情を
すべて赦して味わうことだったり

固く握りしめた手のひらをそっと開いて
誰かが差し出してくれる手を
泣きながら受け取ることだったり

自然の声を聴き、自らの声を聴き
その声に従って動くことだったり

子どもの頃のような無邪気さのままに
ピュアにはしゃいであそぶことだったり

人と関わることで
たくさんの自分を知り、赦し、愛することだったり、

本気で喧嘩したり
本音を言い合ったりして
はだかのどすこい相撲するなかで
真に信頼できる仲間やカゾクをつくっていくことだったり

怖くても自信がなくても
「これこそが、わたしなんだ」と
在るがままを表現することだったり

自然とつながること
地球とつながること
自分とつながること
誰かとつながること

そういうことだと、わたしはおもう。

そんな『生きる』を
わたしはあなたと分かち合いたい。

大切な人の自死に
絶望した3人が暮らす『きぼうのいえ』

そういえば完全ドネーション制になったので
来たい方はお気軽にご連絡くださいな。

いつまでこのきぼうのいえが
今の有形としてあるのかは
未知です。

分かち合おう。
「生命」を
「生きる」を
「ぬくもり」を

#生命
#自殺
#自死
#つながり
#ぬくもり
#生きる
#分かち合う
#日記

とってもよろこびます♡