見出し画像

25歳女子が仕事辞めてみた

教員を辞めた。

尊敬する先生との出会いや、
人に教えることの楽しさを感じて

教員を志した。

大学では教育学部に入り、
そのまま小学校教員に。

教員になった私には
それはそれは多忙な日々が待ち受けていた。

仕事が終わらず休日出勤は当たり前
残業も当たり前の毎日だったが、

仕事を覚えることに必死で、
なんとか食らいついた1年目だった。

仕事に慣れてきた2年目
保護者や上司との人間関係に悩まされた。

コミュニケーションが苦手である私にとって

年齢も立場も、考え方も全く違う大人たちと
良好な人間関係を構築することは

非常にストレスが溜まることだった。

「若手である」という理由で
ありとあらゆる仕事を振られたことも
ストレスの一因となった。

次第に
何のために仕事をしているのか
わからなくなり、

教員という仕事にまったく誇りを
もてなくなった。

「こんな仕事をしていて恥ずかしい」
とさえ感じるようになった。

3年目になると
寝坊や遅刻が増えた。

子供との関係づくりに
悩まされ、

自分の不甲斐なさに
号泣し、

仕事に手がつかなくなり
早退させてもらうこともあった。

「自分がしたいことは、コレじゃない」感が
が日に日に増していき

仕事へのモチベーションは
下がる一方。

そして
3年目の3月退職した。

「もったいない」
「コロナで転職は厳しい」

などと
言われることもあったが、

とにかく
教員を辞めたかった。

そして
清々しい気持ちで4月を迎えた。

職場を離れてみると
今までの悩みは吹っ飛んだ。

胃がキリキリすることがなくなった。
生理痛が軽くなった。

教員をやめて思うことは、

自分の苦手なフィールドで勝負しても
無駄

ということだ。

私の場合
・内向的
・コミュニケーション苦手

という性格であったため、

人間力が大切となる
教員という仕事が

苦しくなるのは
当たり前だった。

今、
「仕事が辛いなあ」

と悩んでいる人には

「辞めてもいいんじゃない?」

そう声をかけたい。

我ながら無責任な言葉である
と思うが、

嫌なことからは
開放されていいのだ。

「嫌なことをしなければならない」

という暗示を
無意識にかけている場合は
多い。

「嫌なことをして、お金をもらう」

これも一つの考え方だが、

自分の中で
「耐えられる嫌なこと」と
「耐えられない嫌なこと」を

整理して、

今の仕事に、
「耐えられない嫌なこと」のほうが
多ければ

辞めてもいい。

嫌なことに立ち向かわなくていい

全力で逃げていい

逃げたあとのことは
後で考えればいい

こんな当たり前のことに
仕事をやめてから気づいた。

自分を苦しめるのも自分。
自分を楽にするのも自分。

一度、
自分を楽にしてあげよう。

辞める決断をした
あのときの「私」に感謝したい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?