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ビジネスの関係よりも

最近、無職をしているためか、ビジネスではなく、ただ人として他人に会うことが多い。つまり、お金の関係というのが薄かったりもする。

例えば、僕たちは無料で働きその家のサポートをする代わりに住ませてもらうだとか、、農家にボランティアしたりとか、、ユースセンターで子供たちと遊んだりだとか、、、つまりボランティアか。

これらは全て楽しいから行っているわけであって、なんかそこをサポートしたいというよりも、自身がそこで働くことに喜びを感じるから顔を出しているだけって感じ。気づいたらボランティアみたいになってるけど。

これらは全て、新しい経験として自身になっている。全てが楽しいからこそ、無理をしていない。とても楽だ。そして何よりもやる気がある。そのやる気は、相手にとても喜んでもらえるらしい。

結果、とてもいい循環が起きているように感じる。お金をどちらもせがむことなく付き合うことは、ただ、お互いが特技をサポートし合うだけのシステム。

相手と自分をつなぐものは、コミュニケーションのみだ。コミュニケーションといっても多様で、言葉だけでなく、行動、身振り手振り、雰囲気までもが僕のいうコミュニケーションに含まれている。

そのコミュニケーションは、お金よりも早く正確に、人と人を結びつけるような気がする次第だ。

そんな僕たちは、無一文で人と会って、たくさんの優しい方に恵まれて、サポートしてもらって、いろんな経験ができてきた。

それとは逆に、お金を貰ってサポートをするという機会も少しはあった。

家の掃除をしたり、ベビーシッターをしたりとか。そのようなときに、僕たちはお金をもらう身としてしっかりとやらないといけないとか、言われたことを時間内に全て終わらせないととか、なんとなくプレッシャーが生じる。そんなこと別に考える必要もなく、ただ一生懸命に働けばいいだけなのに、、なぜか頭にそのような無駄が浮かぶ時がある。それは僕たちが対価を受け取ることが初めから決まっているから、、

このことは働く側だけでなく、雇う側にも言えるようだ。最初からただ事務的なことを聞かれて、僕は働くだけ。僕個人のこととか、雇う側の情報も全く開示されないことが多い。ただ、仕事をしに来て、仕事が終わったらお金を貰って帰る。それだけの関係。

楽といえば楽なのかもしれないけれども、人としての面白みがない。そこが、僕の心に違和感を残した。

そこにはお金という何かが存在したのかも。きっとそれは思いもよらぬ形で、相手との距離になっている。と最近思う。



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