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令和2年、広島の記憶

令和2年9月末から10月頭にかけての二日間、かの感染症の蔓延するなか、冬の舞台のリサーチのため広島へ向かった 京都から広島まで、3400円の高速バスで6時間
遠足気分で途中のサービスエリアでコアラのマーチとカリカリ梅、ハイチュウを買ってしまう おやつ

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イヤフォンをしてお菓子を食べるとゴリゴリうるさいという知見を得た
楽しくなってきて、用もないのに別のサービスエリアでも降りてみると、トルコ雑貨市が行われていた 何故? 何故すぎる 隣にあったケバブ屋の店員さんが行ったり来たりしていた
ここはどこ そう思って窓を覗く 気づくと周りの車のナンバーが広島になっていた
もう広島についたのか わからないもんだな 日本中だいたい同じ風景をしている

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ひとまず宿にチェックインして周辺を歩いてみる
宿のそばにはめちゃくちゃ磯臭くてめちゃくちゃ蟹がいる川があった
堤防から、階段を降りて川辺に立てるようになっているようだ
階段の一番上から見ていて、川縁の砂浜に無数に穴が空いてるな、もしかして中に蟹でもいるのかな、などと思い覗き込むと、穴だと思った部分は全部蟹だった 正確に言うと穴もあったが、圧倒的に蟹だった どきっとした

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いたずら心でそばにあった小さな枝を投げてみると全体が一斉にわさわさ動き出してあまりにも気色悪かった
階段を降りて蟹に近づいてみようかと思ったが、数段降りたところで階段の横っちょに蟹が数匹いることに気がつき心がザワッとしたのでそれ以上近づくことなくすぐに撤退した 橋を渡って川の向こう側へ行く

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 広島へ来たのは初めてだった どこにでもあるようなふつうの都会だ ところが何もかもに「ヒロシマ」を投影してしまう 京都に始めて来た人もこんなふうに感じるのかな、などと思った

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夕方ごろ、前乗りで広島に来ていた演出家の河井朗と電気屋さんのカメラ売り場で合流 髪型が玉城ティナになっていた
なぜかお揃いのGRで互いを撮り合った

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さっきの蟹を見せたくて川へ行くも、砂浜はなんと川に沈んでいる えっ
満潮? 驚いた 朗くんに見て欲しかったのに 蟹って窒息しないのだろうか?

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夕食がてら飲みがてら、朗くんの知り合いのお父さんのお店に行くことに
目当ての店に行くまでの道中、川沿いに公園があった ブランコとシーソーで一通りあそぶ
大人になってからの遊具はこわいものだ なんだか勢いがすごい さまざまな危険性を刷り込まれ、子供のころに比べると想像力も育ったので、悪いほうの想像がついてしまうのだろう
ぐいぐい漕いでいると、体が川に投げ出される不安がどうしても頭をよぎる ブランコを全身全霊で漕げなくなったのはいつからだっただろうか
朗くんは、初対面である「知り合いのお父さん」と親しげに話していた わたしはなぜか若干の座り悪さを感じていた

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朗くんがベッドに潜り込んだまま、あと5分経ったら動きます、と言っている 5分後は10時なのだが
昨日は目当ての店からもう一軒梯子して一頻り飲み食いし、明日は10時出発ねと約束し早めに眠った

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朗くんの準備を待って、広島平和記念公園へ
二日目の朝の気怠い眠さ

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原爆ドーム、初めて現物を見た 空はすこぶる晴れている
反射が眩しくてちっとも読めない説明板にはめちゃくちゃな数の蟻が集っている なんだか「集合と<--解読不明-->」というのがこの旅のテーマになる気がしていた

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ぼうっと原爆ドームを眺めていたら、朗くんがボランティアガイドさんに話しかけていた
わたしは基本的に人と話をするのが億劫で、まだ眠いし、しらない人との旅先での交流とか甚だ面倒なのだが、そもそもリサーチで来ているわけだし、となるとこれも当然仕事のうちだし、と逡巡しているうちに呼び寄せられ結局一緒に説明を聞くことに
そこから1時間半ほど、自作のファイルを使い、公園周りを実際に巡って、資料館から消えてしまった情報などを教えてくれた
始めてしまうと、さっきまで感じていためんどうさみたいなものはすぐに消えてしまう なんでもそう 風呂を代表として
ガイドさんは、雨の日以外は毎日ここに立って一日一組かならず案内をしているらしい たしかに日に焼けていた肌の色をしていた 「これで今日は帰れるわ」と笑っている
最後に、まあ想像力の問題やねというようなことをおっしゃられていて、まあだいたいはそう それは違いないなと思った

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朗くんは途中「おっちゃん、おれら時間(のケツが)あるねん」などと言って説明を急かしていて、こういうことができるのってすごいなと感心してしまった わたしはジリジリと焦り内心苛立ちを募らせながらもふんふん言って結局最後までその場にいてしまうタイプだから
ガイドさんは資料館なんか行かんでいいと言っていたが、それじゃ不公平だしせっかく来たのだしということで、レストハウスの二階で軽く昼食を食べ、公園内をぐるり廻り、資料館にも立ち寄った

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この7月にリニューアルオープンされたばかりだというレストハウスは、爆被災の中心となった中島地区ではほぼ唯一残った戦前からの建造物だそうだ
内部にはお土産屋さんやお洒落なカフェなどもあり、白くてつるっとした印象のきれいな建物になっている
一方、当時原爆から焼け残ったという地下室は、出来る限り当時の状況が残されており、薄暗くがさついていて、どことなくひんやりとしている

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ふと、戦時中、白い家は空から標的とされないため黒く塗ったということが思い起こされた
わたしはずり落ちたジーンズの裾を折り直しながら、「真っ白」について考えていた
白い服というのは、それだけで目立つし、なにより汚れやすいよな 小さな汚れでも目立ってしまう だから「汚れないように」と気を使える余裕だとかゆとりがあるときにしか着用できない
黒い服というのは汚れても分かりにくいし、なによりわたしはその服自体、たとえば仕事のときなど、視界の邪魔にならない、隠れるためのものとして着用している
白色やミルクティーベージュなんかが流行るタイミングって、もしかしたら平和っぽい、のんびりとしたタイミングなんじゃなかろうかとふと思う

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原爆の子の像の隣にはバラ園があった 乾燥した剥き出しの地面から茎を伸ばしているそれらは、季節外れなのかほとんどの物が赤茶けていたがふしぎと雰囲気がある 黄色、ピンク、白と所々に鮮やかに咲いているものもあった
このバラ園越し、繁った木々に道を開けられるようにして臨む原爆ドームがわたしは一番しっくりときた

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折り鶴の飾ってあるコーナーを通り、平和の灯、原爆死没者慰霊碑と巡ってゆくうち、修学旅行か社会科見学と見える学生の集団の姿が見えるようになってきた
平和記念資料館へ入ろうとするも、感染症対策で予約制になっているらしく入れない
せっかくなので入場が制限されていない一階や地下の部分だけを回った

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資料館にはたくさんの写真や手紙、声などの記録がある
資料館ないし博物館ないし、「価値のある記録」とされるものを保管する場所が「Museum」なのか
いや逆に、ここにあるから価値を見出すことができるという側面もなきにしもあらずな気もする 絵画にとって額のように、記録にとっての場所、見せ方も非常に重要
それじゃ「Colosseum」は?
資料館でもっとも印象的だったのは、娘が懇意にしていた男性に宛てて「娘はあの爆弾で死にました」という内容を綴った手紙の最後の一文「焼残りのおばさんより」という言葉だった

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時間があったら宮島に行こうと言っていて、時間的にも間に合いそうだったので駅に向けて歩いていたとき、見漏れていた国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を見つけた
ちょっとだけ入ろうかと言って触りだけ触れる感じで入ったのだが、こちらもすばらしくMuseumだった 体験記や記録映像のデータベースがあり、場所ごと、爆心地からの距離、名前、など細かに検索できるようになっている
一通りざっと回って、もっとゆっくりと見てみるか、宮島へ向かうか 「どうする?」と聞いてみると「いや、宮島行く」と朗くん 君のそういう欲望に素直なところって素晴らしいと思うよ
そそくさと公園を後にして、足早に電車に乗り込んだ

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電車は終点の宮島口駅まで乗って、そのままフェリーに乗り換える 暮れてゆく直前の、いちばん強い光が海に反射して、目を開けていられないほどまぶしい そうそうわたしはこういう光が好きで写真を撮ってるんだなと思った

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引き潮の砂浜にはたくさんの貝がいて興奮した 蟹もいた 海のそばでビールを一杯だけ飲む

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時刻は5時前 宮島的にはこの時間はもう終わりがけのようで、ほとんどの店が店仕舞いをしていた まだ空いている店でビールを飲み、牡蠣を食べ、他にもつまみ、夕暮れの厳島神社(工事中)を拝み、島をちいさくぐるり回って、あっという間にフェリーに乗り込んだ あたりはすっかり真っ暗だ
島を出る前、目の前を鹿が二匹横切った

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帰りのフェリーで月がやたらきれいだとおもったら、その日は「中秋の満月」だったらしい 家に帰ってツイッターを見たらみんながそう言っていた
子供のころ、「月がきれい」と言うと「かっこつけてる」とか「きざだ」みたいなことを言われた 大人になって「月がきれい」と言うと、今度は「それってどういう意味?」とか「夏目漱石?(笑)」みたいなことを言われるようになった
わたしはこれまでもずっとその言葉をただその通りの意味として使ってきたし、これからもそうして使っていきたいし、もちろんそうするつもりでいる

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