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SO LONG GOODBYE 10.友達になろうよ

2020年1月29日 京都府立文化芸術会館にて

ひさしぶりに劇場に入った。去年の記憶ではもっと大きい印象だったのだが、実際に入ってみると記憶のだいたい半分くらいに思えた。

SO LONG GOODBYEというタイトル、何とお別れするのかがずっと問題だった。
前日夜に、SO LONG GOODBYEグループラインに河井朗からLINE。
「私が「いる」から「応える」ことができる」
「今の私とあなたとの関係にお別れをして、次のステップに進むための希望を考えてみようと思います」
いい言葉だと思った。

実際に劇場に立ってみることができるのはものすごくありがたい。
バトンを下ろして実験をする。
灯体がぶらさがったバトンを下ろして灯りをつけてみると、なんだかボルタンスキーみたいだと思った。灯体のひとつひとつが顔に見える。
ホリゾントの前に立つと、足元が暗くなってゆうれいみたいだ。

京都府立文化芸術会館のホールは、その名のとおり劇場らしい劇場で、公共の劇場らしくちょっと厳かな雰囲気がある。
アバンギルドはいい意味で質素というか、清貧な雰囲気があった。それが、テキストで語られている彼ら彼女らと呼応する部分があったかもしれないなと今気付く。
では今回はこの劇場で、どんな作品になるんだろう。よそよそしくはならないといいなと思う。これは個人的な意見だが、近くにいたいと思う、とても。できるだけ、切実に、仕事をする人の近くに。

この劇場には切穴があり、それをばんばん活用するつもりでプランを練っていたらしい河井朗、いやパンチ敷くから……ってなことでふつうに使えなくてがっかりしていた。プラン練り直し。どうなることでしょう。

実験中、バトンを下ろすなら果物を吊るさない意味もわからない、だって果物はだいたい「ぶらさがって」いるものだから、と思い、いやしかし、かってにぶらさがっている訳ないなとも思う。あれは実りなのだから、ぶらさがっている、よりは、結ぶ、の方が在り方として正しいのかも。

英語圏では天職のことを「calling」と言うらしい。すぐに、神に呼ばれるという意味でのcallingなのだろうと思った。調べてみると案の定そうだった。
神に呼ばれることを天職というのなら、人は神に選ばれたがっていることになる。
この現場でいうパッケージング、それは世間でいうラベリングに近い言葉だが、他者から消費されることを恐れるのに神様はトクベツなんだなーと思った。
この辺りは宗教観や価値観の問題になってくるのだと思うが、私にはライフワークという言葉の方がしっくりくる。自分が選んだ、自分の人生を通じて成すべきこと。それはつまり仕事ではないか。私はずっと、仕事という言葉でライフワークのことを考えていたのだと思った。金銭を得るためのjobではなく。
天職という言葉とライフワークという言葉にもとうぜん差異を感じるが、どうせ天職という言葉を使うならライフワークをも内包した言葉として使いたいところ。

舞台の面に立つと光が当たらず、顔に影が落ちる。私は顔のない人間が好きなのでそういう演出を思考停止状態で好ましいと思ってしまう。
でもこの作品では顔、顔、顔、かもしれない。たとえ(実際には)顔が見えていなくても(概念的に)顔が見える状態がいい気もする。だって演説の話をしていた。演説は顔と顔を突き合わせてするものだと。
こちらが晒さないのに相手が晒してくれるということがありえるのか? いや逆に、むしろお互い晒さないことこそ、晒し合うことへの近道だったりするのか? 人間関係のことはマジで分からない。
観客というのは観劇時、ある種の匿名状態にあることになっている。観客と目を合わせる演出というのもよくあるが、それはその匿名状態にあり眠っている自我をひとつの顔としてひきずりだすことを目的としている(ように観客としての私には感じられる)。
でもこういう広い舞台で、どうやって人一人と向き合うことができるんだろう。
それでもfruitとcallingを繋ぐものはやはり顔/faceだと思った。誰であるかということ、私であるということ。

顔は個の象徴である、はずなのだが、「face」という単語はどちらかというと「お面」の意味が強いように感じる。面の皮、みたいな。文化や国民性が影響しているのかもしれないけど。
英語のこと、全然詳しくないので辞書的な意味しか分からないのだが、誰か詳しい人がいたら教えて欲しい。お面と「顔」って全く逆の意味だよな。日本語での「顔」という、アイデンティティの意を孕んだ単語が英単語のどれに近しいのか。

帰り際、河井朗が「お別れから一回始めようかな」と言っていました。いいと思います。


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第41回記念Kyoto 演劇フェスティバル

〈U30支援プログラム〉採択作品
ルサンチカ『SO LONG GOOD BYE』

「人は一日八時間食べてはいられないし、一日八時間飲んでもいられないし、八時間セックスしつづけもできない。八時間続けられるものといえば、それは仕事だ。それこそが人が自分も他の人すべても、こんなに惨めで不幸にする理由なのだ。」

第41回記念Kyoto 演劇フェスティバル
2020年2月9日(日)
ホール開場15:40 / 開演16:00
京都府立文化芸術会館 ホール

【料金】
一般前売:1,000円(当日1,200円)
高校生以下前売:500円(当日700円)



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