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2022年10月の記事一覧

文芸批評断章19

文芸批評断章19

北村透谷は『内部生命論』で次のように言う、「諸君よ、吾人が五十年の人生に重きを置かずして、人生の根本の生命を尋ぬるを責める勿れ、諸君よ、吾人が眼に見うる的の事業に心を注がずして、人間の根本の生命を暗索するを責むる勿れ」と。「人生の根本の生命」とは何か。「生命といふは、この五十年の人生を指して言ふにあらざるなり。」と言う。生命とは物質的生命でなくして霊的生命であり、死後も続くのである。人生の本質であ

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文芸批評断章18

文芸批評断章18

18.
啄木の『食うべき詩』を読むと、こんなことが書いてある(以下、引用は青空文庫『弓町より』からである)。

若い頃の啄木は「朝から晩まで何とも知れぬ物にあこがれてゐる心持」を抱いており、それは「唯詩を作るといふ事によつて幾分発表の路を得てゐた」という。この憧れは常により高きを求めるロマン主義精神の発露であり、それは何らかの意味で理想主義でもあるが、それを現実のより善き状態への改善に結実せずに詩

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文芸批評断章12-17

文芸批評断章12-17

12.鴎外ドイツ三部作殴り書き(1)
a)鴎外「文づかひ」のイイダ姫は自我の目覚めを表すかもしれないが、それが単なる生得的好き嫌いに縮小されている。本来、自我の目覚めは全人格的なものであり、従ってイイダ姫のそれは自我の目覚めを描いたものだとしたら、不十分きわまりない。飽くまで自我の目覚めの一面を見せたものに過ぎない。

b)生得的好き嫌いと言えば、「阿部一族」にも見られる。

人には誰たが上にも好

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文芸批評断章7-11

文芸批評断章7-11

7.
島崎藤村「若菜集」の「秋風の歌」が興味深い。

清(すず)しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉にきたるとき

や、

見ればかしこし西風の
山の木の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉(ももは)を落とすとき

などの箇所を読めば、情緒の統一がない。秋風に気持ちよさを抱くと思えば寂しさを感じ、秋風に畏怖の念を抱くかと思いきや悲しみを感じる。しかも

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