浜田省吾さん
16歳の秋、ボクは少し病んでいた。
ボクの初恋は小5の時で、相手は同じクラスの女の子。
彼女は自閉症で、誰とも口を利かない子だった。
誰も彼女の声を聞いたことはなかった。皆はその子のことを気味悪がっていたし
ボクも、いつもうつむいて机の上を見つめながら表情ひとつ変えない
その子のことを全く意識していなかった。
その頃のボクはクラスのお調子者で、いつもみんなを笑わせることに
生き甲斐を見出しているような間抜けな子供だった。
ある日、ボクは再三提出するように先生から言われていた宿題をわざと忘れた。
その宿題を忘れたら教室の前に立たされることになっていたからだ。
前に立たされる、ということは、つまりみんなの前で何か面白いことのできる
チャンスだ。ボクの頭の中はいつもそんな思考回路だった。
先生にかなり怒られて、ボクは教室の前の黒板の横に立たされた。
そして先生は授業を始めた。
もちろんボクは先生が黒板に何か書くたびに面白い顔をしてみんなを笑わせた。
その時、ボクの視界の中にその子が入ってきた。
彼女は笑っていた。
初めて見た彼女の笑顔は驚くほど綺麗で純粋だった。
それがボクの初恋だ。小5の春から中学2年の夏までその子が好きだった。
もちろん話したことはない。
ボクはそれ以来、宿題をやらなくなった。
時は流れて16歳の秋。ボクは少し病んでいた。
そんな時、偶然彼女に会い、付き合うようになった。
彼女は長いスカートにケバイ化粧だったけど、明るい子になっていた。
それは短い恋だった。
ボクの勝手さについて行けないと、彼女は去っていった。
ボクの初めての失恋だ。
当時、5歳上の姉貴が浜田省吾のファンで、姉貴の部屋ではいつも浜省が流れてた。
彼女にふられた夜、ボクは姉貴の机からカセットテープを1本くすねてウォークマンで聞いていた。
それは浜田省吾の“Down By The Mainstreet”というアルバムだ。
A面が終わり、B面に移ってしばらくすると、その夜のボクのことを歌ってくれた曲があった。
その夜、ボクはその曲を何度も聞いた。曲が終わると巻き戻してまたその曲を聴いた。
“Pain”という曲だ。おかげでそのテープは、まもなく伸びて聞けなくなってしまった。
今でもあの曲を聞く度に、ボクは16歳のあの夜に戻ることができる。
それからアルバムをさかのぼって聞くようになり、“Father’s Son”が
発売になって、浜省の大大大ファンになった。
初めてのライブは“誰がために鐘はなる”のツアーだ。
ものすごい熱気とパワーのあるライブだった。代々木オリンピックプールが
小さなライブハウスみたいに感じられるほど一体感のあるライブだった。
“その永遠の一秒に”も好きなアルバムだった。そしてまた代々木オリンピックプールに
出かけた。そこでボクはひどくがっかりしたのを覚えている。それ以後ボクは
しばらくの間、浜省から離れていた。
代々木につくと、そこにはあきらかにドラマのタイアップの影響で、スーツやお洒落な
服で着飾った「大人の」観客が押し寄せていた。観客の熱気も、前回の時と違う。
決してライブの内容が悪かったわけではない。ただボクはあの時大人になりたくなかった。
それからは彼の歌を聞くことはほとんどなくなった。かわりにボクは洋楽の、しかも
かなりハードなパンクやオルタネイティブな音楽にはまっていった。
99年になってひさしぶりに浜省の曲を聞いた。それは、“詩人の鐘”のシングルだ。
今の音になっていて、しかもきちんと熱があった。そしてカップリングの曲は、
年をきちんと重ねた大人の歌だった。ボクはようやくそれらの歌を理解できる年になっていた。
“OnTheRoad2001”のツアーで久しぶりに浜省のライブを聞いた。
本当は昔と何も変わっていない。スタイルやファッションは変わっても、
変わらないパッションがある。
それからは、本当に辛い時に彼の歌に救われた。
“どんなに遠くても辿り着いてみせる 石のような孤独を道連れに空とこの道で会う場所へ”
“長い旅路のいろんな場所で 数え切れぬ人に出会う 誰もが皆 自分の人生と戦っている”
“いつかまた逢える日が来た時 君に恥じない日々送ることを誓おう 青空に
愛された感触が素肌と心に今も消えずにあるから”
M、パパはここ数ヶ月間、この言葉にいつも背中を押されて頑張ってきたんだ。
いつの日か君に逢うことが出来たなら・・・それら君のママに逢う日に、
パパは胸を張って逢いたいと思う。ママの分まで一生懸命生きたからねって。
笑ってまた抱きしめたいんだよ。
もう一度君のママと恋に落ちるから、その時はまたパパの娘になってくださいね。