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夢を抱けない状況のほうが、問題だ

去年の1月から、個人コンサルというか、セッション?を受けている。
作家の末吉宏臣さんとツイッターを通じて私は知り合い、5年くらい前から編集をお手伝いしているため、その流れで打ち明けてみた。

「私のコンサルもしてもらえませんか?」

と。自分が担当する作家さんに個人的なお願いをするのはかなり勇気がいったが、快く引き受けてくださった。

自分から言い出したくせに、何を相談したいのかよくわからなかった。
だから、最初の頃はむずむずしながら話をしていた気がする。

「こんなことをしてみたいのです」というごくささやかな希望すら、言いにくいというか、恥ずかしいという気持ちが込み上げて、何度も回り道をしながら胸の内を吐き出している感じ。それが半年くらい続き、何を話したか忘れたが、やりたいことを伝えられた気がする。

でも、今思い返しても思い出せないくらい、当時やりたいと思ったことは、本当はたいしてやりたいことではなかったように思う。

そして、今年に入ってから「noteを書きます」とお伝えした。
今日、すえきちさん(末吉さんのあだ名)に言われたのが、

「ずいぶん前に渋谷のカフェの帰り道に『なんでnote書くんですか?』と聞いてきたまよっこさんと今のまよっこさんは、全然違いますね!」と。

確かに、当時は本当になぜ人はブログなどを書くのだろうと本気で疑問に思っていた。今はそんなことも考えずに、恥ずかしげもなく頭の中を人にさらしまくっている。これを変化と呼ぶのかわからないが、恥のハードルが下がったようだ。

そして、今やマイクなしのカラオケで歌を歌ってレッスンを受けるボイトレなんぞにも通い出す始末。しかも、年始に超高額のエレキギターを購入したばかりなのに、アコギが欲しくなって購入を検討し、さらにはギターを弾く環境を整えたいがために引越しをしたいとすら思っている。

やばすぎる。よくわからない創作意欲に突き動かされている。

「去年のまよっこさんは会社の話をよくしていましたが、今は”か”の字も出てこないですね笑」とすえきちさんから指摘されて、はっとした。

確かに、今や仕事をしているのか怪しいレベルで時間はおろか、意識を全く向けていない!

いつの間にか、社会不適合者に邁進していた。

今やりたいことは、シナリオを書くことである。
できれば、コラムニストになりたいが、シナリオのようなザ・創作もやりたい。

「アンパンマン」のような長く人から愛される作品に憧れる。

年をとって仕事を定年退職したあとにやることがない生活は、絶対に嫌だと思っていた。そのために、転職をして新しいスキルを身につけ続けなければいけないと思い込んでいたのだが、今年に入ってからその考えは違う気がしている。

老後にやることがないからと仕事を自ら進んでやる必要があるのだろうか?
やりたいことでお金が稼げたら最高なので、そういう”仕事”ならやる意味はあるが、やらされ仕事なのであれば、無理に続けなくていいと思うようになった。

もちろん、食うに困る経済状況なら働かねばいけない。
でも、「お金に困らない人生を送る」というのが私の子供の頃からのルールなので、たぶん、そうならないと信じている。

自分でもなぜそう思うのか、不思議ではある。
なぜなら、人生の半分以上はお金に困って暮らしていたから。

実家は大金持ちでもないし、中学の頃にはお金がないので友達と遊びに行けなかったし、ディズニーランドも大学生になってからしか行ったことがない。高校時代もバイトも掛け持ちしたり、大学は奨学金をもらい、社会人になって返し続けた。

就職後も年収400万円台で超都心の大人気エリアに無理して一人暮らしした結果、「来月の家賃が払えないかもしれない・・・!!!」と焦り、親に泣きついたが「実家にお前の住む場所はない」と断られたので仕方なく深夜残業しまくっている状況でも弁当を持参し、節約して乗り切った。

それでも、私はこの期間ずっと「お金は溢れてくる」という妄想に取り憑かれていた。だから、「今はなくても、絶対にあとで稼げるから大丈夫」と思い込んでいた。ただのやばい思考のやつである。

でも今、実際にそうなっている。
耐え忍んだ期間に諦めずに思い続け、そのための行動をとり続けてきた結果、無理ゲーの状況から這い上がったのだ。

だから、夢のような状況を思い描くことができないのなら、その状況のほうが問題だと思っている。

現実が夢とかけ離れていることより、夢を持てないことの方がずっと辛い。

すえきちさんのセッションを通じて、私は私の人生を生き直しているのだ。
彼にはそういう力がある。

不思議で、魔法のような、力が。

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