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ググれない奴幸福論

ggrksというネットスラングがある。
検索すればすぐわかる事を他人に尋ねる、時間泥棒的な人間を揶揄する言葉だ。私はググれない人が嫌いだった。
何故、自分で調べられないのだろうと思っていた。
しかし、最近になって、ググれない奴ほど世界を幸福に、そして自分自身も幸福にできるのではないだろうかと思うようになった。
本日はそんな私の考えた方が変わった事象について、語っていきたいと思う。

パソコン仕事は自分の役割ではないと思っている老人たち

あなたの周りには、パソコン仕事をやたら押し付けてくる上司や、チャットの使い方が分からないからメールばかり送ってくる先輩はいないだろうか。
彼らは自分の事を老人である事を自覚していて、仕方ないという盾を持っている。便利だろうが何だろうが、自分の孤城を死守し、社会との調和を拒む。新しく導入したシステムなら、同じスタートなのに、アナログシステムに拘り続ける。過去に栄光のある人間は、認められた過去に依存するので、自尊心が欠落しない。会社に居場所があり、それが揺らがないと思い込んでいる。だから、新しいものを理解しようとする努力を怠るのだ。
それで、問題なく仕事が進むのならいい。
だが、往々にして問題は生じる。
そのソフトで作ったら共有できないんですけど!みたいな事は日常茶飯事だ。周りに迷惑を掛けてまで城を守ろうとする、その熱意があればきっと新しいシステムだって覚えられるのに...。と思いつつ、困るので、ショートカットの作り方やらメンションの仕方、グループの作り方を教える日々を送っているのは私だけではないはずだ。ggrksと思いながら、今日も、"Ctrl cでコピーしてvで貼り付けられますからね"とにっこり微笑んだ。

ポケモンGOはできる老人

よく私に色んな事を聞いてくる職場の先輩に、いつもの通り、新しいシステムの事について教えていた時の事だ。

"ポケモンGOとかやる?"

と聞かれた。私は"最初の頃だけちょっとやりましたが、今は全くです。"と答えた。彼女のスマホを覗くと、沢山のポケモンがコレクションされていた。驚いた。簡単なショートカットキーすら覚えないのにポケモンGOはできるのか。やり始めた理由を尋ねると、"息子がやってるから"と仰っていた。要するに息子との共通言語の為に習得した技能らしい。興味を示した私に、彼女は更に、孫の写真で作ったLINEスタンプを披露した。彼女自身で作成したそうだから、驚いた。売っていてもおかしくないクオリティーだった。

そのとき、気が付いた。彼女は仕事が遅いが、その事は彼女にとって問題ないのだ。彼女はコミュニケーションを何より大切にしている。だから、会話のための作業や努力を惜しまないのだ。
彼女がわからないと言わない限り、私はパソコンの前で作業をしてその日を終えていただろう。ググるより、その場に会話の場を作り、コミュニケーションを取る事の方が彼女にとって優先すべき事項だったのだ。仕事が遅いのは困る。だが、彼女の周りにはいつも会話の輪ができている事も事実であり、私は自分の視野の狭さを自覚させられたのだ。

ググらずに買ったMacBookで幸せになった話

私はモノを買うとき、一時的に専門家になりそうな程、調べる傾向がある。めちゃめちゃググる。

新しいPCの購入を検討していた時もそうだった。
自分に必要なスペックを見極め、一番コストパフォーマンスが良いモノを選択する事だけを考えていた。しかし、稀に、調べすぎると、訳がわからなくなるという現象が起きる。その日は完全にドツボにハマってしまっていた。

その時、ふと、全く候補になかった、MacBookのページを見てみた。Windowsじゃないし、コスパ悪いし、ないな、と思っていたのに、その時は何故かとても素敵なものに見えたのだ。ググり続ける旅に疲れ果てていた私は、吸い込まれるように、いつの間にかMacBookをポチッていた。

”なんとなく、かっこいい。”ただ、それだけの感覚で何も考えず、ポチッた。雰囲気で15万の買い物をした。

それでも私は毎日、MacBookに恋をしていて、それは、今、これを打ち込んでいる時間まで続いている。

毎日のようにリンゴについた指紋をペカペカになるまで磨いている。恥ずかしながら、”かっこいいマシーンだなぁ”という、IQ3くらいの感覚だけでこんなにも満たされてしまう。

こういう事もあるのだ。

それは、ググっている間に見過ごしていた価値観だった。

頼れない人間は自滅する

私は他人に物事を頼むのが苦手だ。職場で後輩の成長のために業務を配分する、これが私の限界値だ。現代は、他人に頼らなければできないことの方が少ない。そうやって、自己解決の流儀を通していた。
そんな私は昨年、鬱になった。
ある日突然身体が動かなくなった。
足が地面にひっついて職場に行けなくなった。
自分で言うのも何だが、その日まで、ずっと、無遅刻無欠席の無害人間をやっていたはずだった。どうすれば良いのかわからなかった。今までどうしようもない恋愛は、終わった後に笑い話として昇華し、どうにもならない人間関係や不安は、夜中に聴く音楽や週末に食べるケーキの美味しさで誤魔化してきた。私は他人に頼るという手段を持っていなかった。その結果、自滅し、結果、沢山の人に迷惑をかけた。沢山の人に怒られた。なんでこんな状態になるまで相談しなかったのだと言われた。
だって、暗い話をすれば暗い気持ちにさせるではないか。私は私によって誰も不幸にしたくない。それが私の持論だった。

しかし、私の大切な人たちは泣いていた。
頼らない事は大切な人を不幸にするのだと、そのときはじめてわかった。
3月のライオンという漫画のなかにもこんな台詞がある。

そうやって力をかりたら 次は相手が困ってる時 お前が力をかしてやればいい 世界って そうやってまわってるんだ一人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ ―――でないと実は誰もお前にも頼れないんだ ―3月のライオン第3巻chapter32


わたしは大切な人に頼られたい。だから、自分も、頼らなくてはいけない。その関係性からは逃げてはいけないのだ。

たまに、ググれない人であれ

人に頼られる事は嬉しい。自尊心を満たしてくれる。頼った人間も、問題を解決できる。winwinだ。ググるよりずっと有意義だ。あなたもにっこり、わたしもにっこり。

そして前の項で紹介したエピソードのように、ググらない世界には会話が生まれ、ググらずにした買い物では、ググる前にはなかった価値を見出せたりもするのだ。

自分で調べ、解決すると言う行動は、現代を生きる我々にとって必要なスキルだ。しかし、ネットの中だけに求める解があるとは限らない。ひとに頼ってみたり、感覚に頼るという事で完成する方程式もあるのだ。

たまに、ググれない人間であれ。

きっと、そこでしか見つけられない幸福があるはずだ。



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