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私を本好きにしたのは、小学校の同級生だ。

5年生のとき、彼女が「大どろぼうホッツェンプロッツ」がおもしろいよ、と教えてくれた数日後に、袋に入った本を1冊貸してくれた。家に帰って、大どろぼうの話を楽しみにその袋を開けたら、その本は「ダレン・シャン」だった。知らない本だ。思ってたんとちがう。

ダレン・シャンには大どろぼうは出てこないし、当時ちょうど流行りだした魔法学校も出てこなかった。
代わりにバンパイヤやタランチュラが出てきて、当時の私が手に取るにしてはダークな世界観の本だったけれど、すごく楽しくてワクワクして、表紙から裏表紙まで、本に書いてあるすべての文字を読んだ。続きが読みたくて仕方なくなって学校の図書館で借りたり、地元の図書館で予約したりして、当時発売されていた巻まではあっという間に追いついた。

最新巻が発売されると、地元の本屋さんに行って買い、家に帰ってすぐ読み始める。2時間くらいノンストップで読む。毎回一気読みする私を見て、母からは「もったいないからゆっくり読んだら?」と言われたこともある(咎められたわけではなく、提案として)。でも、あんなに楽しいのにゆっくり読むなんて無理だった。次の行に、次のページに、次の章に、進んでいく以外の選択肢がない。切りがいいところなんてない。

一気に読んだダレン・シャンは、時折また一気に読み返す。友達から借りた1巻も、図書館で借りた5巻も、いつの間にか全部買ってもらっていて、家の本棚から選び放題になっていた。読みたい部分(ガブナーが勇敢なところとか、アニーと再会するところとか)を2冊くらい持ってきて、また一気に読む。最初よりも速く読めるので、2冊でも一気に読める。気に入ったコンテンツは何回でもリピートできるタイプの素地は、この頃養われたらしい。

ダレン・シャンをダレン・シャンと知らずに借りていなければ、ここまで本を読む(一気読み&繰り返し読みする)ようになっていなかったと思う。大人になってからも、本は一気読みするし、好きな本は手元に置いて(最近ではkindleにも入れて)、何回でも読む。でもついに、「一気読み」を「したくない」本を手にしてしまった。自分で見つけた本じゃなく、人からいただいた本である。

本をいただくなんてなかなかない機会なのに、奇しくも同じ日に、2人の方からそれぞれ本をいただいた。2人とも大好きな人生の先輩だ。なんて有難いことなのか。2冊の本を手に取って、「ゆっくり読まなきゃもったいない」と思った。選んでいただいた喜びを少しずつとかして、その本の良さと一緒に私の中に取り込むような、その過程に価値があると思う。

そんなわけで、毎日目に入る場所に2冊を置いてニヤニヤする日々である。そろそろ開いてしまおうか。勢いよく読み切らず、お気に入りのしおりとともに、大事に大事に読ませていただきたい。

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