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文化の値段

高校生くらいまで、お金が無かったからコンサートや美術館へ行けなかった。
茨城県立近代美術館は、志村ふくみ展で高校生850円。
水戸芸術館のコンサートは、ピアノリサイタル1800円。
笠間の美術館は、交通費から足りない。佐川文庫も同様。
コンテンポラリーダンス、演劇、ミュージカル、どれもすっごく観てみたかったけど、未だにどれも、片手で数える程しか観た経験がない。

どれもこれも、大好きなのに。触れたくてたまらないのに。

でも、すごくすごく好きだったから、無料の展示やコンサートを探し回っていた。
駅ビルの写真展。
高校生吹奏楽部のイベント演奏。
デパートの絵画展(というか展示販売?)。

地域情報誌を集めて、イベント欄を毎回チェックした。
今でもそのクセは抜けない。

図書館ではCDを借りまくった。
画集もいっぱい読んだ。
図書館の古本市では、無料の画集や雑誌を、大量にもらってきた。1か月前、こっそり実家へ行ったときも、まだ本棚の脇に積まれていた。
CD屋さんで、レンタル落ちの100円CDをコツコツ集めた。ラヴェル、ドビュッシー、バッハの平均律、ショパンの嬰ハ短調、チャイコフスキーの四季、ストラヴィンスキーの春の祭典。

お年玉を貯めて、洋書を1冊買った。
好きな挿絵画家が手掛けた本だったから。画集は高くて買えない。

高校生ウィークには通い詰めた。
ボランティア登録をすれば展示が無料で見放題。
嬉しくて嬉しくて、本当に、心から嬉しかった。
でも、現代美術センターの人たちはみんな「教養のある人」達ばかりだった。
ユニクロのワゴンに乗ってたTシャツ、小学生の時のGパンを履く私は、仲間外れになった気持ちを抱えていた。

絵の勉強もしたかった。
でも、絵画教室の送り迎えなんて、誰もしてくれない。
そもそもお金もない。
予備校なんて夢のまた夢。
勉強しても、お金が無かったら食っていけない。私だけじゃなく、弟や妹の生活もかかっている。

文化って、誰でも楽しめるものでは無いんだなあ。

あのとき、思う存分、好きな音楽と大好きな絵画と、ダンスや演劇に触れられていたら。
思い切り楽しむことが出来たなら。

ぜんぶ、今でも好きだけど、昔ほど必死に探し求めるエネルギーは残ってない。
生き延びるため受験して、生き残るために勉強して、生き続けるために入院して。
そんな生活に呑み込まれているうちに、そんな渇望は
零れ落ちていってしまった。

生きるために、音楽も絵画も必要だった。
無かったらきっと、色鮮やかな感情と共に、「私」として生きる私はいなかったのだろう。
前に進むことも難しかっただろう。そんな人たちにも出会ってきた。

けれど、そうした文化や芸術だけじゃ、生きてはゆけないんだな。
痛いほど、苦しいほどに思い知らされて、でも諦めきれなくて、何度も何度も何度も、自分に言い聞かせた。

必死に生きてたんだから、後悔は無いけれど。
無い、と、思いたいけど。
でも、もっと……欲しかったなあ。色々。

願わくば、とりわけ文化芸術の世界では、触れたいものに触れられる世の中であって欲しい。
子どもも、大人も、どんな人も。

それが生きる糧になることもある。
できる限り、奪わないで欲しい。

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