胡散臭い話

 変わってしまった。全てが変わってしまった。数年前、天井を日中から見つめていると罪悪感だけに襲われいたが、現在は致し方ないとういうような状況である。今までしてこなかった事、やれてなかった事、見えてなかった事に価値を感じ動きだしたのである。

 と宣言したものの、コロナ以前から本質的に自身が変わったとは到底考えづらいものだ。在るが儘にかえった、自然にかえった等の表現が正しいのだ。毎度申し上げているが、都会と田舎のギャップに苦しみ、満員電車で消耗していた日々が異常だったのである。そして異常を満たす為に風俗や居酒屋その他のあるべきでは無い娯楽でストレスのではないだろうか?当方は一切の娯楽を断ち切り、異常と言われるまでの狭い世界を生き抜いているのだから、満員電車は嫌いである。

 終いには自ら命を断ってしまった人々を早朝から皆で避難していたあの世の中には嫌悪感しかなかったのである。ルールや規則が狂ったという事よりも一つの命を軽んじているのではないかとさえ感じたのだ。もし天へ昇って逝った人々が身内や大切な人だったら、君たちは何を思うのかね?こう私は問いたい次第である。第一に黙祷で彼らを供養するべきだったのだ。

 明日は我が身、良くできたセリフである。今まで君たちが軽蔑して敬遠して蔑んできた人々に君等がなった場合、彼らは何を思うのか?楽を出来る人が増える事や生きづらいと思っている人々への配慮が彼らには欠落していた。また責任転嫁のだったのかもしれない。上記は一種の宗教論争にも成りかねないから単なる怪文書として捉えて頂きたいものである。

 胡散臭い言葉になるが、変化に適応出来るもののみが生き残っていくと私はどこか達観するのだ。故にベースを維持しつつ多方面の価値観や存在、立場を偏見なく見ていく、まさにそんな時ではないだろうか。

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