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『怪怪怪怪物!』は一点の曇りもなく分かりやすい大好きなホラー!という話

台湾の街の、光の届かない地下。
あるところに、二人の怪物が棲んでいました。
背が高くて髪の長い大人の怪物と、背が低くて髪の短い子供の怪物です。

この日も怪物達は夜になると街をさまよい、誰もいない場所で、シケモクに夢中になっている人間のおじさんを殺すと、美味しそうにその肉を食べ始めました。

大きい怪物はおじさんの体から一番栄養のありそうな、一番のごちそうっぽい心臓を取り出すと、にっこり笑って小さい怪物にあげました。
小さい怪物は嬉しそうに、そして美味しそうにそれを食べます。

この怪物達は互いの事が大好きでした。
醜く、恐ろしい人喰いの怪物ですが、心はいつでもお互いを何より大切に思っています。
怪物達は人間に知られることなく、いつでも二人寄り添って、ひっそりと街の暗闇の底で暮らしていたのです……。

『怪怪怪怪物!』台湾ポスタービジュアルより

ホラー映画『怪怪怪怪物!(原題:報告老師!怪怪怪怪物!)』は、台湾で製作された作品。
このところ、心身ともに細切れにしてくるようなジェットコースターゴアスプラッタ『哭悲』、反対にじっとりと嫌悪や恐怖に訴えるPOV『呪詛』と台湾ホラーが巷でとっても話題。
(※すみません、大きく出ましたが少なくとも私が身を置いてるホラー好きやTwitterの映画クラスタ界隈の輪では、かな)

でまあ、台湾ホラーの話題が局所的にでもホットな今、ぜひこの『怪怪怪怪物!』もオススメ、という話を今回は書きます。

簡単な紹介の後、警告文を挟んでネタバレ有で私の感想を書くので閲覧注意。

■『怪怪怪怪物!』はこんな映画

この記事の冒頭で触れた人喰いの「怪物」と、怪物に関わった高校生達を描くホラー。

映画の雰囲気や質感として、流血や残酷描写(痛い辛い描写)はあるので
「皆に観て欲しい」
と言えども金ロージブリとかアイドルラブコメとか性善説のハートフルストーリーをメインに観てる、無害で健全なお話を観て感動したい!という層には積極的にすすめられない。
決してグロ耐性の無い人を馬鹿にしてるのではなく、マジでやめた方がいい。

更に主人公達が高校生なので若者ノリの下ネタが多少あるから家族で観るのも注意かな(笑)。

ゴア、グロジャンルとしてはそこまでではなく、ギャグ的な描写やセリフも多い。

あとこれは、そこまで過保護に警告する必要ある?と思いつつも書くと決めたんだけど、高校生レベルの“いじめ(暴力、悪口、仲間外れ等)”の描写がある。
よくTwitterで「いじめ被害者だからそういう描写見るだけで苦しい」という人もいるので、一応。
ただ、作中の“いじめ”自体がかなりテーマとして大きなものなので、いじめの醜悪さや悪質さを理解してる人ほどメッセージ性が刺さる作品ではある。

■簡単な冒頭のあらすじ

クラス全体からいじめを受けている気弱な高校生の少年・林(リン)は学級費泥棒の罪を着せられ、
「君達はクラスの中心だから林と一緒に行ってあげて」
と先生から声のかかった、いじめの中心メンバーでクラスのリーダー格である不良グループと一緒に老人福祉ボランティアに行かされる事になる。
そこでも不良三人は悪ふざけを開始。
老人をいじめ、ドラゴンボールやナルトの仮装をさせて馬鹿にしたり、額に輪を四つ描いてアウディに見立て、車輪つきの椅子で廊下を引き回したりといたぶり放題で爆笑。
始めは嫌々ながらその片棒を担がされていた林だったが、無力な老人の恐れ嫌がる様を見ていつのまにか不良同様笑みを浮かべていた。

ボランティア中に出会った元軍人のお爺さんの部屋から金になりそうな荷物を盗もうと決めた不良と、それに付き合わされた林は真夜中に繰り出し、そこで二人の「怪物」に遭遇する。

パニックになり逃げる途中で小さい方の怪物がトラックに轢き逃げされてしまい、その怪物と自分達が防犯カメラに映ってしまった事から
「こいつを放置したら俺達が罪に問われるのでは?」
と恐れた不良達は、意識を失った小さな怪物を仕方なく拐い、溜まり場にしている学校の廃プールに監禁する事にするが……

というお話。

※ここから先は展開・結末を含む感想を書いていきます。ネタバレ注意!!

□考察不要の強烈なメッセージ!こいつらこそ最悪の「怪物」だ!

この映画に関しては、謎のまま終わり考察が捗る~!とか、人によって解釈が分かれる、のような要素は一切無い。

全てが分かりやすく、また、監督の意図をこれでもかと見せてくる様な描写がめちゃめちゃに強調されている。
なので、100人が観たら95人は映画のメッセージやラストの意味について同じものを抱くだろう、くらいの感じ。

イケメン揃いでにっこり笑いながら同じ人間を虐げる「人間」。

醜い姿で涙を流しながら仲間の怪物を取り戻さんとする「怪物」。

多くの観客が胸を打たれるのはやはりこの二者の対比だろう。
そして、その二者の間で主人公のいじめられっ子・林はどこまでも弱く、怪物を案じながらも怖くて不良達に逆らえない。
そんな林がラストに見せた決断もまた、一抹の優しさを残しつつ勇気とも正義感とも言い難い。

演出としても、人間・怪物そして林の死に様の描写にどうしても目が行き比べてしまう。

仲間を押し退けても自分だけ安全に助かりたがり、恐怖に引きつり血を撒き散らして屍となり転がる少年達。

仲間を庇い慈しみの表情を浮かべながら美しい炎と光に焼かれゆく怪物。

全ての汚さを振り払いまた内包して、全てを終わらせ雄叫びを上げる林。

映画は何度も何度も訴えかけ、そして私もしっかりそのまま受け止め、思う。
「ああ最も美しいのは、怪物達の方だ」
と。

□ミスマッチなポップ演出が少年達の「えげつなさ」を強調する

この作品には、いじめや、ひどい行為をはたらくシーンでポップな音楽が流れたり、ギャグっぽいセリフ回しを用いるシーンが多々見られる。
太陽光を孫文の肖像の額縁で反射させて怪物をいたぶりながら
「孫文パワーだ!」
とか、
“ミキサーにスイカを入れてスイッチオンで粉砕し、スイカジュースの出来上がり”
シーンと
“バスの中という密室で生徒達が血まみれの大量殺戮に遭い、おびただしい鮮血が流れ出す”
シーンを並行させたり。

これらの一種“悪ノリ”っぽい演出が、私の目にはB級臭のするチープな悪趣味演出、にはとどまらなかった。

ポップ&ギャグで飾った残虐シーンはまさに、ノリで「面白いから」と人をいじめ、それをカッコいいとか、何も考えてないとか、自分達は強者だとか軽々しく残酷な行動を行う若者特有の「イキり」の雰囲気にとても近い。
イキってその場その場のノリでやって相手を傷つけて楽しがり、イケてる強者だと酔いしれてるけど、常識ある人や大人から見たらそれ物凄くダセえぜ(笑)?っていうような、滑稽なたちの悪さとでも言おうか、あの感じと似てる気がした。

この映画最大の巧みな猛毒は
「人間の方が中身は醜い怪物だ!」
という分かりやすいテーマとメッセージだけではなく、ポップに寄せたことで生まれたこの雰囲気だろうと私は思う。
恐らくターゲットであろう若者層に、
「うぜえなあ、楽しい音楽に乗せた残酷描写なんて悪趣味なキモシーン見たくねえよ~」
という感情を抱かせると同時に、
「そうですよ、遊びで楽しんで人を傷つける行いをするなんて悪趣味でキモい事ですよ」
というリアルな背中合わせの皮肉・教訓をもたらす“隠れ反面教師カウンターパンチシステム”。

ギャグゴアやポップゴアは世の中に数あれど、ここは本当にこの映画の特別な感触として印象に残った。

□怪物の出自にも満足!

正直、怪物に関してはデザインや優しい性格など込みで
「醜く恐ろしいのは怪物よりも人間~」
のテーマの為の舞台装置的なキャラクターだと思っていたので、作中で怪物の正体が明かされるとは思ってなかった(明かされないまま「こういう怪物がいました」で単に完走しても何も不満は無かった)。

が、この映画は私の想像と期待をはるかに超える設定をもって怪物のルーツをきちんと描写してきた。

作中の内容を拾うと、怪物は何と元は人間の姉妹であり、親が蠱(こ。虫や不浄の生き物を使う古くからある呪術)に手を染めていて、呪術的な虫が子宮におり血液を変質させた事で怪物になってしまったらしい(人間としては行方不明者)。

変にウイルスとか現代的な設定にせず、いかがわしい邪法を出してきたのは個人的に好き(台湾の若者の中では蠱毒の知名度って高いのだろうか)。
更に、怪物が“元は人間だった”事で彼女らの感情や性格が更なる意味を持って入ってくる。
妹に人間の心臓を譲るようにして食べさせてやり、妹がいなくなって嘆き悲しみ、命を奪う陽光の下で焼かれながらも捨て身で妹を助けようとする姉の怪物の愛や仲間意識は、生態として仲間意識の強い、そういう性質の怪物だから、ではないのだ。
こんな姿に成り果てて尚一緒に生きるたった二人の「家族」だったからだ。
つまり“人としての優しさを失っていない存在”なのだと。

そして、不良達から拷問のように遊びで傷つけられて涙を流す妹の怪物の涙もまた、痛みにのみ流されていたのではないと胸が締めつけられる。

姉妹は怪物に成り果てて尚、あたたかい「人間」の心を持っていた。
姉の怪物がたった一度人間を見逃すあのシーンも良いよね。

□もう一人のいじめ被害者と林の言葉の意味

これは、まあ、見た人皆が抱く感想と思うのでさらっとだけ。
林の他にもう一人、クラスでいじめられている、ベランダに席を出されて仲間外れにされている太った女子が登場する。

映画の前半で彼女は、学級費泥棒の濡れ衣を着せられた林をこれ以上いじめがエスカレートしないかと心配し、林の潔白を信じて声をかけてくれる。
しかし、林は
「僕はお前とは違う」
と邪険に突っぱねてしまった。
林は現実的にこの少女と何も変わらない哀れないじめられっ子だが、同類からとして同情を向けられたのが気に入らなかったようだった。

そして、不良達が死に、怪物の去った映画のラスト。
今もクラスでは林と太った少女へのいじめが続いている中で、林は、人の体内に入るとやがて感光して火を放つ怪物の血を給食の大鍋(食缶)に混ぜた。
配膳され、給食の時間が始まる。林もその大鍋のスープを意を決して飲み干したが、ベランダに仲間外れにされている太った少女が今まさに食べようとしていたスープを奪い取り、ぶちまける。
そして彼女に言う。
「お前は僕達とは違う」
と。

ここで、映画の前半で林が彼女に口にしたのとほぼ同じこの言葉が、全く違った意味合いになっている。

林にまで意地悪をされてしまったのかな、としょんぼりする少女を尻目に、林は歩き出す。歩きながら拳を握り雄叫びを上げる彼の背後では、スープを口にしたクラスメイト達が次々に焼け死んでいく。
やがて、日向を歩く林の頬にも血管の感光が現れる……。

以前心配して優しく声をかけてくれたあの少女への、月並みな言い方であるがあの行動が、林のケジメ、そして謝罪と感謝だったんだろう。

回り道をし、傷つき、あんな形でもやっと自分を直視した林。
映画の最初から現れ、林の行動範囲となっている商店でたびたび登場している、年老いた母(もしくは祖母)から教えられた「お釣りはお客さんに自分でとってもらいなさい」という接客を懸命に行う知的障がい者の男性の、人を疑うことを知らない純粋さが林に己のずるさ醜さを痛感させるシーンも印象的だった。

□人間の本性は怪物のように残酷、それでも……

囚われの妹怪物に自らの血を餌として与えながら
「いつか助けてあげるからね、僕は不良どもなんかとは違う」
と約束した林は、結局怖じ気づいて怪物を死なせてしまった。
不良少女が言っていたように、行動できないくせに善人でいたがる、それが林の弱さでありずるさだった。
それを振り切るようにあの最後の選択をした林。
彼の決断は正義とも善とも言い難い、ヤケクソの大量殺戮、いわば(世間で言うところの)人間的ではない=怪物的な、行動だった。

仏教カルトに傾倒し、仏教の掲げる功徳や善に囚われきっていた教師は、しかしいじめを止めもせず、生徒の一人が犯罪者と性風俗従事者の子である事を他の保護者の前で侮辱する。
彼女の行動には、かぶれているはずの教えが掲げる善も、教師としての正しさも無い。
教科書をなぞるだけで善人の自己満足を得ている最悪のカルト怪物だ。

反して、さんざんに無法をはたらき、林に向かって「殺してやろうか?」などと軽口を叩いては乱暴していた不良のリーダー・段(ドァン)は、ガールフレンドの死を悲しみ涙を流す。

人は善であろうとしても善になれず、悪の怪物を気取っても善なる感情を完全には捨てられない。
それは人の弱さであり、卑怯さ、脆さだ。

繰り返しになるが、この映画のテーマ
「本当の怪物は人間だ、人間の中身は(実際の怪物よりも)醜く残酷だ」
という事実は確かに否定できないもので、しかし、肯定しきれないものでもある。
「醜くとも、人間らしい優しさは持ち続けられる。必ずどこかで持ち続けているはずだ」
と。クラスメイトを焼き払い自らも死を選んだ「怪物」と化しながらも、林はあの少女を助けた。あのラストは、映画の「人間は残酷な怪物」というテーマへ監督自ら見せた、こんな背中合わせの提言ではないだろうか。

醜さを持ち、醜さに塗り固められそうになろうとも、人は優しさも持てるはずだ。

醜い人喰い怪物に成り果てても、最後まで互いを慈しみ続けた二人の怪物のように。

……なんてしんみり書いてしまったけど、こういうメッセージをも説教くささ0で魅せてくれるのがこの映画のパワー。
ホラー映画よりちょっと優しく、昔話よりちょっと醜い痛みを伴う。たくさんの人に観て欲しいお気に入りです。怪物姉妹がとにかく可愛い。
“怪物モード”がブーストするときの目や顔つきの変化とか凄く好きです。

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