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鎌倉殿の13人 雑感⑤ 義経が悪人!

第8回「いざ、鎌倉」を観ました。

義経が悪人として描かれているというのは、大河ドラマ史上初めてではないでしょうか!

以下、私の雑感ですので、間違っているかもしれませんがお許しください。

これまでのドラマで描かれてきた義経像は、だいたいこんな感じです。

希代の戦上手で、軍略家であると同時に個人としての武力もすぐれている。平氏を滅亡に追いこんだ立役者であるのに、政治的感覚に乏しく兄頼朝の不興をかってしまった。
兄に歯向かう意志など毛頭なかったにもかかわらず、その功績があまりにも大きかったせいで、逆に疑いをもたれてしまう。
腰越から何度も詫び状を送るも目通り許されず、逃亡。奥州平泉にて討死。

しかし、今回の「鎌倉殿の13人」では「悪人」でした!!!

悪党ぶりは、平泉を出て鎌倉に向かう道中でガツンと描かれます。

ウサギ狩り。義経が矢を射るとウサギが倒れます。やったーとばかり、義経はウサギの耳を掴み上げて「後は頼む」と家来に渡そうとしますが、横合いから「俺のだ」と主張する者があらわれます。手持ちの矢を見せて「ほら、同じ矢だろう」と。これほど明確な証拠を突きつけられては認めないわけにはいきません。

ところが、本作の義経は相手を騙し打ちにします。

「矢を遠くまで飛ばせたほうが勝ちとしよう」ともちかけ、相手が矢を放った後、至近距離で自分の矢を相手に打ち込む。

これほどの悪はありません。言い訳無用の悪ですね。
多勢に無勢なのだから、騙す必要なんかないのです。ウサギ一羽のことで人殺ししますか?同情の余地が1ミリもない悪を提示してきました。

この場面は何を示そうとしたのでしょうね。

おそらく、当時の武家とはこんなもんだった…と言いたかったのだと思います。

いつの時代もそうですが、武力は正当化されなければ暴力にすぎません。義経の時代は武家政権が成立する前で、人々を守るシステムができる前です。

平安中期に発生した武士は時代が進むにつれて、自分の領地を守るために武力を養っていきます。力で自分たちの生活を守るというのは、マフィアや清水次郎長のような渡世人と共通するものです。

正当化されていない暴力だからこそ、戦の作法や「名」を大事にしたのだと思います。新撰組がうちわ揉めで何でもかんでも「切腹」したのは、自分たちは百姓ではないという主張がもとになっているように。

土地に根付いている武士たちは名声を守らなくてはなりませんが、義経は違います。

義経は出自こそ武士としてこれ以上ないほど煌びやかですが、他には何も持ち合わせていないわけです。アウトローのリーダーには人を引き付ける魅力と怖れられる力が必要です。義経に従っている流れ者たちにとって「機嫌を損じると殺られる」くらいの緊張感があっても不思議はありません。

こんなことを思いましたが、いかがでしょう。

義経が悪人設定となると、今後の展開は従来のドラマの域を超えてしまうので、予想できないですね。いやもう、悪人だらけになりそうです。

だいたい、日本人は「判官はんがん(義経)びいき」といって、弱い立場だけれど優秀な人物が大好きだったのですよ。それをどうしてくれます?

今年の大河おもしろくて笑いがとまらん!どうしてくれます?
新撰組や真田丸とも違う三谷演出が、ますます楽しみです。

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