喪服の女
その日は仕事が忙しく、会社を出た時には終電間近という時間でした。
足早に駅に向かうと、構内にはまだ多くの人がいました。
エスカレーターでホームへ降りると、私は後方の車両に乗るために移動していました。
ホームには、私と同じ仕事帰りの人や遊び帰りの若い男女がそれぞれ電車の到着を待っていました。
みんな疲れた表情をして、中には酔っ払っているのかフラフラとしながら歩いている男性もいました。
そんな中、前方に喪服姿で黒いベールがかかった黒い帽子を被り、手には黒い数珠を持った女性が立っていました。
周囲と比べてかなり浮いているように見えましたが、
こんな時間までお葬式だなんて、大変だなあ。
程度で、私は喪服女性の後ろを通り過ぎました。
少しして、ホームに電車の入線するアナウンスが流れました。
暗い線路の向こうから、眩しい電車のヘッドライトの明かりが近づいてきました。
先頭車両の運転手さんの顔が見えた時、突然凄まじい警笛と急ブレーキをかけた金属音が響くと同時に、女性の悲鳴が聞こえました。
車両は4両ほどが私の前を通り過ぎて止まりました。
若い女が飛び込んだ。
男性の声でそう聞こえました。
周囲を見渡すと、乗客たちはみな
不安そうな表情でどこかに電話をかけたり、車両の下を覗き込んだりしていました。
ホームの地べたに座り込んでしまっている女性もいました。
ふと、さっきまでいたはずの喪服の女性がいなくなっていました。
姿を探しても、見つかりませんでした。
ホームが慌ただしくなり、人身事故を告げるアナウンスが流れると、ホームにいたほとんどの乗客が移動し始めました。
ホームに残っているのは数人。
電車の中には、何人もの乗客がまだ閉じこめられていました。
復旧に時間がかかると思った私は、仕方なくタクシーで帰ることにして駅から出ることにしました。
駅前のバス停の明かりは消えていて、タクシー乗り場にはすでに行列が出来ていました。
私もその列の最後尾に並びながら、
タクシーだといくらかかるのか。
早朝に会議なんてなければ、復旧まで待って電車で帰ったのに。
『なんてタイミングが悪い日』
私は深い溜息が出ました。
初めのうちは駅前に戻ってくるタクシーの数も多く、行列はテンポよく減っていました。
しかし、だんだんと戻ってくるタクシーは減り、時間だけが過ぎていきます。
私の前があと数人となったところで、最後尾だった私の後ろに一人並びました。
何気なく振り向くと、黒いハイヒールと黒いスカートが目に入り、思わず前を向き直しました。
私の脳裏に思い浮かんだのは、ホームにいたあの喪服の女性。
いつの間にかホームから姿を消した彼女が真後ろに現れて、私はかなり動揺をしていました。
ようやく乗り場に二台のタクシーが現れ、私の前の男性がその一台に乗って去りました。
そして、続くタクシーが私の前で止まり、ドアが開いて乗り込もうとした瞬間、どこからか走ってきた中年の男性が私を押しのけてタクシーに乗り込もうとしたのです。
「すみません! 私が先に並んでいたんですけど!!」
私はとっさに割り込んできた中年男性の腕を掴みました。
すると、中年男性はタクシーから一度降りると、私を睨みながら迫ってきました。
「なんだよ、小娘が。文句があるのか。手、離せよ」
中年男性からは、かなりのアルコールのにおいが漂い、私は怖くなって何も言えずそのまま掴んだ手を離しました。
すると、中年男性は舌打ちをしながら再びタクシーに乗り込み去って行きました。
はぁ、最悪。
私は溜め息をつき、肩を落としました。
ふと後ろを見ると、喪服の女性がまた居なくなっていました。
辺りを見回してもその姿はなく、少し戸惑いはしましたが正直ホッとしました。
しばらくして、ようやく一台のタクシーがやって来て、今度は割り込まれることなく後部座席に乗ることが出来ました。
途中までは渋滞もなく順調に進んでいましたが、だんだんと走行する車の量が増えていき、渋滞をするようになってしまいました。
「随分混んでますね」
「あー、そうですね。また、事故でも起こしているんじゃないですかね。
この道、昔から事故が多いんですよ。とばす車が多くて」
「そうなんですね」
「お客さんついてなかったね」
ドライバーは困ったように笑い、私も苦笑いをしました。
タクシーはゆっくりと流れに沿って進みました。
「やっぱり事故ですね」
ドライバーさんの声で私は前方を覗きました。
すると、交差点の途中に不自然に止まった二台の車が見えました。
一台はタクシー、もう一台は少し離れた場所で斜めに止まっている赤いスポーツカーでした。
スポーツカーのすぐ近くには、持ち主らしき若い男性がどこかに電話をかけているようでした。
事故が起こってからそう時間は経っていないようで、パトカーの姿はありませんでしたが、けたたましいサイレンの音はこちらに向かってきているようでした。
歩道には野次馬の姿もありました。
前の車は、みな事故を起こしたタクシーの横をゆっくりと通り抜けていきました。
私が乗ったタクシーも、その後に続いて事故を起こしたタクシーの横をゆっくりと通り過ぎていきます。
その時、私は思わず後部座席を見てしまいました。
すると、そこには窓ガラスに頭をもたれかけ俯いている男性の姿があった。男性は微動だにせず、ガラスの内側には血痕がこびり付いていました。
ひっ!!
思わず息を飲みました。
うわぁ~酷い事故ですね。
お客さん無事だといいけど。
ふと、後部座席の男性が顔をあげると、頭から血を流していました。
ですが、私はその男性の顔に見覚えがありました。
そう、タクシー乗り場で割り込んできたあの男性でした。
そして、私の乗るタクシーが横を通り過ぎる時、男性の奥にあの喪服の女性の姿を見ました。
ごく短い時間でしたが、黒いベールから見えたその口元は、ほんのり微笑んでいるように見えました。
事故車の運転手さんはハンドルに体を突っ伏したままピクリとも動きません。
そして、もう一度隣の後部座席を見ると、喪服の女性の姿は消えていました。
もしも、あの中年男性に割り込まれなかったら、自分が事故に巻き込まれていたかもしれない。
そう思うとゾッとしたのでした。
あの喪服の女性は何者だったのでしょうか。
あの日起こった事故も、あの喪服の女性の仕業なのでしょうか。
それを確かめる術はありません。
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