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【怖い商店街の話】 古本屋の二階

夕暮れの帰り道、私は近所の商店街を歩いていた。
近頃、廃業した店が増えて、商店街の両脇にシャッターが目立つようになった。
それでも、長く続く飲食店はまだ存在し、美味しそうな匂いが漂ってくる。
総菜屋さんの前には、いつもお客さんが並んでいる。
店先に置いてある蒸し器からはモクモクと白い湯気が上り、私も匂いに釣られて、総菜屋さんに顔を向けたまま歩いていた。

ドンッ
よそ見をしていたせいで、私は誰かとぶつかってしまった。

「ごめんなさい」

とっさに謝ると、目の前には六歳ぐらいの小さな男の子が、私を見上げて立っていた。
男の子は短パン半袖の恰好で、ボロボロの靴を履いていた。
もう秋も終わりに差し掛かっているのに、とても寒そうなその格好に驚いた。

「どうしたの。ママとはぐれた?」

男の子は首を横に振った。

「そんな恰好をして、風邪をひくよ。お家に帰りな」

私は男の子にそう言った。

すると、男の子はおもむろに私の手を握った。
その手は小さくて、やはり寒かったのかとても冷たかった。
男の子は私の手を引いて、どこかに連れていこうとした。

「どこに行くの?」

何を尋ねても、男の子は何も話さない。

そして、男の子が立ち止まった先には、小さな古本屋が営業していた。

「ここが君のご両親のお店?」

男の子は私の手を離すと、じっと立ち尽くした。

「何か悪いことでもしたの? パパに叱られたとか」

男の子はただ首を振るだけだった。

私は男の子の恰好が不憫に思い、服を着させてあげるように頼みに行った。

古本屋の中はとても狭くて、通路は一人がやっと通れるほどの広さしかなかった。
両脇には本棚があって、発売されてしばらく経ったような書籍が並んでいた。
奥は少し広くなっていて、左側にはレジと初老の男性が座っていた。
男性はメガネをかけながら、手元に置いてある小さなテレビを見ているようだった。

「すみません」

私が声をかけると、男性はこちらをゆっくりと見て、
「いらっしゃい」と不愛想な顔で言った。

「あの、こちらのお子さんだと思うんですけど、すごく薄着で歩いていて。風邪を引いたら可愛そうなので、冬着を着させてあげて欲しいのですが」

そう言うと、男性は何も言わず、ただただ私を睨むように見つめていた。
その態度に私は腹が立ってしまった。

「だから! 小さい子供が、もう冬になるっていうのに短パン半袖でいるんですよ。可哀想だと思いませんか! あなた、父親ですよね? あんな恰好で子供を放置するだなんて、非常識だと思いませんか」

男性は、今度は私の事を怪訝な顔で見つめた。

「初対面な上に、年上の人間によくそんなことが言えるな。私には子供などいない。従って、あなたに非常識と呼ばわれる筋合いはない」

戸惑う私に、男性は「買わないなら出ていってくれ」と店から追い出されてしまった。

店の外には、男の子が立ち尽くしていた。
ため息をつきながら近づくと、男の子は古本屋の二階を指差した。
古本屋の二階は、住居になっているようだった。
古い雨戸とヒビの入った窓ガラスが見える。

「ボクノイエ」

そう言って、また冷たい小さな手で私を引っ張った。

「お家そこなら、一人で帰れない? お姉さん、今日はもうお仕事で疲れているの」

そう言っても、男の子は私の手を離さなかった。
冷たいその手は私の熱まで奪っていくようで、厚着をしていた私も次第に凍えて体が震えて来た。

男の子に連れられ商店街の脇道から細い路地に入ると、古本屋が並ぶ商店街の裏側に出た。
古本屋の横には、住居となっている二階への階段が伸びていた。

男の子は私の手を引き、そのまま錆びた鉄筋の階段を上ると、玄関の前に立ち止まった。
表札には何も書かれておらず、ポストにはチラシが挟まっていた。

「ここがお家?」

そう尋ねると、男の子は頷いた。

「すみません」

そう言ってドアをノックするが、中から返事はなかった。
ドアノブを回しても、開かなかった。

「鍵は持ってないの?」

そう尋ねると、男の子は首を振った。

私はドアポストに挟まったチラシを押し込み、部屋の中を覗こうとした。
バサバサとチラシが玄関の向こう側に落ちる音と共に、漂って来たのは肉の腐ったような悪臭だった。

私は男の子にその場に待つように伝え、慌てて階段を下りると古本屋に戻った。
鼻息荒く現れた私の事を、不快感丸出しで古本屋の店主は見た。

しかし、悪臭がすると伝えると、古本屋の店主は慌ててどこかに電話をかけた。
二階の管理人は別にいるようで、その人に連絡を入れているようだった。

「管理人がすぐに来るから、あとはその人に任せなさい」

そう言われたけれど、私は男の子が心配で裏口に戻った。
ドアの前では、男の子が待っていた。

「今、管理人さんが来るから」

そう言うと、男の子は私に抱き着いた。
男の子の体は冷え切って冷たかった。
私の上着を男の子にかけてあげると、男の子は微笑んだ。

いつの間にか空が曇り、風はさらに冷たくなって、私は寒くて体がガタガタと震えた。

少しして60代ぐらいの管理人の男性がやってきて、二階に上がって来た。
私の事はチラリと見ただけで何も言わず、管理人は玄関のドアをノックした。
やはり反応はない。
ドアポストを押し込むと、苦い顔をしながら中を覗いていた。

そして、ポケットから鍵を取り出して、ドアの鍵を開けた。
私は男の子に、「よかったね」と声をかけた。

管理人がドアを開けると、中から悪臭が漂って来た。
私は服の袖で鼻を抑えていると、管理人は土足のまま部屋に上がった。

玄関を入ってすぐのところに和室があり、そこに置かれたテーブルの脇で若い女性が倒れているのが見えた。
管理人はその若い女性に駆け寄ると、今度は慌てて部屋の外に出ていき、何処かへ電話をかけた。

どうやら警察にかけているようだった。
私は、ゆっくりと横たわっている若い女性に近づいた。

そして、私はそれを見て愕然とした。
若い女性の周りには虫の死骸が無数に転がり、まだ生きている虫が女性の体を這いずっていた。
その隣には、一人の白骨化した遺体があって、それが子供のものだとわかった。
振り返ると、玄関には短パン半袖の男の子が立っていた。

そういえば、白骨化した遺体の子が着ている服とまるで同じだった。
男の子は、横たわる女性を指差した。

「タスケテ」

そう聞こえた気がした。
私は、恐る恐る女性の手に触れた。
すると、わずかに手のぬくもりを感じた。
女性の体を仰向けにし、私は女性の胸に耳を当てた。

トクッ トクッ
弱々しくも、確かに心臓の鼓動が聞こえた。

私は慌てて外にいる管理人に伝えると、急いで救急車を呼んだ。

振り返ると、男の子の姿は消えていた。

私の上着だけが、男の子の立っていた場所に落ちていた。

少しして救急車と警察が到着すると、急に辺りが騒がしくなった。
狭い部屋の中に救急隊と警察がなだれ込むように入っていき、倒れていた女性は担架に乗せられて救急車に運ばれていった。
私はそれを見送った。
倒れていた女性は助かりそうだと聞いて、私は安堵した。


救急車を見送った時、背後でそっと「アリガトウ」という男の子の声が聞こえた。
振り返ってもそこには男の子の姿はなく、遺体収納袋を慎重に運び出している警察官が見えるだけだった。

そして、遺体収納袋は車に乗せられ、何処かへ運ばれていった。

私も管理人も、その場で事情聴取された。
男の子に呼ばれたなんて言っても、信じてはもらえないだろうと、近頃見かけないから心配になって訪れたと言っておいた。
その理由には警察官も疑っていたけれど、事件性がないことから追及はされなかった。

男の子の死亡原因は餓死だった。
そして、母親ももう少し遅ければ、栄養失調で亡くなっていたそうだ。


あの男の子は母親を助けたくて、自分が見える誰かを探して商店街を彷徨っていたのだろう。

母親はその後、意識を取り戻したそうだ。


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