【怖い商店街の話】 果物屋
その商店街には、たかぎ屋という果物屋があった。
店を構えて、すでに五十年は経とうとしている。
先々代はトラック一つで日本中を巡り、ビニールハウスや果物の木を見つけては実を一つ売ってもらい、気に入った果物は必ず売買契約を交わして店に戻って来た。
口が上手く、諦めが悪い先々代は、断られても何度も何度も頼み込み、相手が諦めるまで足を運んでいた。
さらにお客からの要望があれば、先々代はどんなものでも仕入れるという熱心さもあった。
そんなたかぎ屋には、絶品の果物が多種多様に並び、遠方から来るお客もいるほど店は繁盛していた。
だが先代に引き継いだ後、一つだけ店頭に並ばなくなった果物がある。
それは赤いりんご。
スーパーでも他の果物屋でも、大概は売っている赤いりんご。
青いりんごはあるというのに、何故かある時からたかぎ屋の店頭に赤いりんごが並ぶことがなくなった。
「赤いりんごだけは仕入れるな」
それが先代の遺言となり、後を継いだ息子の一郎もそれを守っていた。
買い物客が行き交う商店街。
籠を腕に提げながらやってくるお客は、店に並ぶ果物を選びながら一郎に尋ねる。
「赤いりんごはないの?」
これまでも、同じ問い掛けに答えてきた。
青りんごを勧めても、「赤いのがいいの」と言って何も買わずに帰ってしまうこともあった。
中には、毎日のように孫らしき女の子を連れてやってくるお爺さんもいた。
お爺さんが来るのは、決まって夕暮れ時。
「りんごはないですか。赤いりんごが欲しいのですが」
「青りんごならありますよ」
「赤いのがいいのです。孫は赤いりんごが好きだから」
赤いりんごがないと知ると、いつも残念そうに肩を落として帰っていく。
そんな姿を見るうち、一郎は赤いりんごを仕入れようか悩みだした。
すでに先代である父は他界し、遺言の意味を聞くことは出来ない。
母に聞いても、理由は教えてくれない。
一郎は気にしていた。
あのお爺さんと一緒に来る女の子の事が。
女の子はいつも同じ恰好で、人見知りなのか一言も喋ることなく、いつもお爺さんの後ろに隠れていた。
けれど、その目はいつも物欲しそうに一郎の事を見つめている。
きっと、赤いりんごが食べたいのだろう。
商店街には、赤いりんごが売っている店はない。
スーパーまでは、商店街から自転車で二十分以上かかる距離だ。
不憫に思った一郎は、母に内緒でこっそりと青りんごを仕入れている農家に連絡をして、一箱分だけ赤いりんごを仕入れることにした。
二日後、店頭には一つ一つ包装された真っ赤なりんごが、箱のまま台に並べられた。
馴染みのお客は、見慣れた赤いりんごを見慣れない場所で目にしたこともあり、買う予定がなくても赤いりんごを一つ買って行った。
赤いりんごは予想以上に売れ、夕暮れ時には残り五つとなっていた。
なのに、その日に限ってお爺さんはやって来ない。
赤いりんごは、あの女の子の為に仕入れたというのに。
そうしている間に、一人の初老の男性がやって来て、赤いりんごを一つ買って行った。
一郎は腕を組みながら、苛立ち混じりに待っていた。
いつもやってくる方角を見つめながら。
「あら珍しい。今日は赤いりんごがあるのね」
振り返ると、町内会のカラオケ大会の帰りだという馴染みのお客がやって来て、また一つ赤いりんごが売れた。
結局、その日はお爺さんと女の子は来ず、赤いりんごは三つを残して店じまいとなった。
一郎は店のシャッターを閉めると、籠に入れた果物の上に布をかけ、店の電気を消して二階に上がる。
二階では、母が夕食の支度をしている。
先代が生きていた頃は、母は何かと店の手伝いをしていたが、今では一郎に任している。
とはいえ、仕入れや売り上げの事には口うるさい。
まだまだ先代のような商売が出来ていないと、いつも叱られる。
だから、内緒で仕入れた赤りんごの納品書には、青りんごの追加と書いてもらい誤魔化した。
独身の一郎は、いつも母と二人で食事をする。
食事中はいつも店と常連のお客の話。
母は足を怪我してから、店に下りてくることも少なくなった。
年老いたら、老人ホームに入ると自ら申し出ている。
夕食が終わると、母は洗い物を済ませて床に就く。
一方、一郎は風呂で一日の疲れを取ると、自室で翌朝届けられる品物と売上のチェックを済ませる。
それを終えて、ようやく布団に横になる頃にはいつも0時過ぎてしまう。
今日もたくさん売れた。
りんごが想像以上に売れたな。
一体、何故先代は赤いりんごを仕入れることをやめたのか。
天井を見つめながら、一郎はそんなことを思っていた。
そうしているうち、いつの間にか寝てしまった。
時計の針が二時を超えた頃。
何かが倒れたような大きな物音が聞こえ、一郎は飛び起きた。
その音は一階からしきりに聞こえ、泥棒かもしれないと、一郎は懐中電灯と野球バットを握りしめた。
母は気づいていないのか、寝息を立てて隣の部屋で寝ている。
一郎は、古びた階段をなるべく音を立てないように、恐る恐る一階へ降りていった。
一階の茶の間は、窓から月明かりが漏れて僅かに明るい。
格子状のガラス戸の向こうは店先。
布を被せてはあるが、籠に入った果物はそのまま台に置かれている。
そこから、誰かが暴れているような物音が聞こえてくる。
しかし、泥棒だとして店で何をしているのか。
釣銭は、すでに二階に回収済みで金目のものはない。
それに、何処から入って来たのか。
裏口は内側から鍵がかかっていたし、茶の間は一切漁った形跡がない。
一郎はそっとガラス戸を少し開けて、店先を覗き込んだ。
店先はほとんど光が届かず、暗くてよく見えない。
だが、音は確かに聞こえる。
ネズミの仕業か?
暗さに目が慣れて来た頃、ぼんやりと暴れている人影を見ることが出来た。
どうやら、平台を蹴り飛ばしているようだ。
「くそっ、やっぱり誰かいる!」
一郎は、そっと店の照明スイッチを押した。
だが、何故か店の電気がつかない。
カチカチと何度スイッチを切り替えても明かりはつかなかった。
その音に気付いたのか、人影はピタリと動くのを止めた。
一郎は懐中電灯のスイッチを入れると、ガラス戸を開けて声を張り上げた。
「そこで何をしているんだ!!」
懐中電灯の灯りの先に姿を現したのは、黒ずんだ白い作業着姿の女だった。
痩せ細った腕に、髪は乱れ、顔はやつれている。
興奮しているのか、肩で息をしていた。
懐中電灯の灯りにも屈せず、一郎を睨むように見つめた。
その目は、くりぬかれたように真っ黒だった。
女の手には、赤いりんごが握られていた。
ユルサナイ
女はそう言いながら、赤いりんごを握り潰し床に投げ捨てた。
灯りを女の足元に向けると、そこには残りのりんごの残骸が散らばっていた。
「なんてことをするんだ!!」
一郎は怒り、懐中電灯の灯りを女の顔に向けたが、灯りの先にはシャッターの壁だけが映っていた。
一郎は女を探すように灯りを店内に向けた。
すると、平台は壊され、棚は倒され、品物はすべて潰されていた。
だが、女の姿はない。
「どこに行った?」
怒りと困惑の中、一郎の耳元で女の声がした。
ユルサナイ
声のする方へ灯りを向けたが誰もいない。
ユルサナイ
暗闇から聞こえる声を追っても、女の姿は見えない。
気が狂いそうになった時、突然店の照明がついた。
店内は、それはもうひどい状態だった。
「これはどういうことだい」
ガラス戸のところで、険しい顔をして立つ母がいた。
店の明かりをつけたのは、一郎の怒鳴り声で目を覚ました母だった。
母の問いに、何て答えていいかわからず困惑する一郎。
その時、母は一郎を押し退け、床に叩きつけられた赤いりんごの欠片を手に取った。
「お前、お父さんの遺言を無視して赤いりんごを仕入れたね」
一郎は素直に頷いた。
「馬鹿だね。早く、店を元通りにおし。定休日以外の休みは許さないよ」
そう言うと、母は赤いりんごの欠片を持って二階に上がっていった。
一郎は、母に言われるがまま平台を直し、棚を起こし、床を掃除した。
床は果物の汁でベトベト。
何度もモップをかけざるを得なかった。
店内がある程度片付いた頃には、仕入れの運送屋が来る時間になっていた。
店はなんとか開けることが出来たが、品揃えはいつもよりも悪い。
夕暮れ時には、空っぽの籠ばかりになっていた。
今日はもう店じまいにしようか。
そう思っていると、あのお爺さんと女の子が店にやってきた。
「赤いりんごはありますか」
お爺さんは、一郎にそう尋ねた。
相変わらず、女の子はお爺さんの影に隠れて様子を伺っている。
本当なら、仕入れた赤いりんごを売ってあげるつもりだった。
そのために、初めて仕入れたのだから。
なのに、赤いりんごはすべてあの謎の女に潰されてしまった。
「すみません。昨日来てくれたら」
「赤いりんご、あったんですか?」
「ええ。でも、昨日ですべてなくなってしまって。いつも一緒に来るお孫さんに、赤いりんごが食べさせてあげたいのでしょ? 私も、その子の為に仕入れたんですけどね」
お爺さんは怪訝な顔で一郎を見た。
「いつも一緒に来る?」
「ええ。後ろにいる女の子がお孫さんでしょ?」
「私は、いつも一人でここに来ているが。それに、孫に食べさせてあげることはできない。あなたは知らないかもしれないが、孫はもうこの世にはいないのです。だから、お供えですよ」
「え、だって……。お客さんの後ろに」
一郎はお爺さんの背後にいる女の子を見つめた。
「年寄りを困らせないでくださいよ。今度、赤いりんごを仕入れたら、取っておいてください。お願いします」
そう言うと、お爺さんは来た道を引き返していった。
ふと、その後ろ姿を見送っていると、隣にいたはずの女の子の姿が消えていた。
一郎は店を閉めた後で、先代の遺言の意味を母に聞いたが、遠い昔の事だと言って話してはもらえなかった。
ただ、「もう二度と、赤いりんごを店に並べてはいけないよ」
とだけ、念を押された。
そして、赤いりんごは再び店に並ぶことはなくなった。
しばらくして、あのお爺さんが亡くなったと、一郎は町内会の訃報で知った。
同時に、女の子の姿も見かけなくなったという。
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