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ラヂオ体操

それは今から数年前のこと。
その日、仕事の残業で帰りが随分と遅くなってしまった。
乗った電車はすでに終電。
駅に着いた時には他の乗客の姿もなく、改札を出た時には一部の照明が消されていた。
駅前の飲食店もすでにシャッターが閉まり暗くなっていた。

家に向かって歩き出した時、私はある事を思い出した。
スーパーに自転車止めたままだ、と。
 

私は今朝寝坊をしてしまい、慌てて姉の自転車を借りた。
予定ではもっと早く帰れるはずで、自転車はスーパーの駐輪場にこっそり止めていた。

急いでスーパーに向かうと、営業はとっくに終わっていた。

入口のシャッターは閉まり、照明は完全に消えていた。
闇夜に浮かび上がる大きなコンクリートの塊が結構不気味だった。
駐輪場があるのは、スーパーの敷地内。
敷地の出入口には車止めのポールにチェーンが張られているが、警備員がいるわけでもなく跨いで通り抜けることもできた。
 

自転車を借りる時、姉から『今日中に自転車は返してよ』と言われていて、どうしても持って帰らなくてはいけなかった。
私はチェーンを跨いで敷地内に入った。
その頃は、スーパーの駐輪場は無料で自由に止めることが出来た。
だからスーパーの営業が終わっても、駐輪場にはまだチラホラと自転車が残っていた。

薄暗い駐輪場の中、自分が止めた場所を思い出しながら探し歩いた。

けれど、急いで止めたこともあって探すのに苦労した。
ようやく姉の自転車を見つめた時、何処からかピアノの音楽が聞こえてきた。
それは聞き覚えのある音楽で、広場の方から聞こえてくるようだった。
 

駐輪場の先には噴水広場がある。
そこには大きな噴水があり、昼間は買い物客で賑わう場所だった。
でも、今は真夜中。
こんな時間に誰が流しているのか。
私は気になり、姉の自転車をそのまま残して噴水広場へ向かった。

軽快なピアノの音。

噴水広場に近づくにつれてよく聞こえてくる。
男性の『腕を前から上にあげて。一、二、三、四……』の掛け声。
子供の頃によく聞いた、ラジオ体操の音楽だった。
噴水広場では夏休みになると、毎朝子供たちや近所のおじいちゃん、おばあちゃんが集まってラジオ体操をしていた。
参加すればスタンプカードに印が押され、最終日にはその数によってお菓子が貰えたりした。私も小学生の時に参加していた。
しかし、こんな夜遅くにラジオ体操なんてしているはずがない。
噴水広場を見渡しても、暗いし誰もいない。
自慢の噴水も、スーパーの営業中には水が噴き上がる演出があったり、ライトアップされたりしているが、この時間ではそれもなくてただの大きな水溜まり。
音楽は一体、何処で鳴っているのか。
私は噴水の周りを調べてみた。

すると、噴水の縁に一昔前の黒いラジカセが置かれ、そこからラジオ体操の音楽が流れていた。
近づいてみると、ラジカセの中にはカセットテープが入っていて、再生ボタンが押されていた。

一体誰が再生ボタンを押したのか。

辺りを見回しても誰もおらず、いたずらだと思った私は停止ボタンに押そうとした。

すると、スピーカーから聞こえるラジオ体操の音楽が急に大音量になり、音は割れてブツブツと音飛びを繰り返した。
私は思わず耳を塞ぎ、すぐに停止ボタンを押した。
一瞬にして、辺りは静まり返った。

その時だった。
噴水の向こうから、複数の子供の笑い声が聞こえてきた。
顔を上げて見渡してみると、暗い噴水の向こうで扇状に並んだ子供のような小さな白い影がいくつも現れた。
その白い影は、みんな私の方を向いていた。
背筋に寒気が走った。

「おやおや、新しいお友達かな」

と、さっきまで誰もいなかったはずなのに、私の背後から掠れた声がした。
ゆっくりと振り返ると、そこには私よりもずっと大きな体の、顔の皮膚がブヨブヨにたるんだおじいさんが白濁した目で私を見ていた。

「スタンプカードはお持ちかな?」

おじいさんの足元にも、より小さな白い影がたくさん集まり笑っていた。
私は怖くなり、「ごめんなさい。私は違います」と言って、駐輪場まで全力疾走で逃げた。

幸い、追いかけてくる気配はなく、私は安堵しながら自転車を運び出した。

一体、あの人たちは何だったのか。

自転車を押しながら、私は噴水広場にいた人達のことを考えていた。
あのブヨブヨの大きなおじいさんのこと。
私はどこかで会ったことがある気がした。
でも、それがどこの誰だったのかは、結局思い出すことは出来なかった。

そんなことがあり、私は夜中に噴水広場を通ることはなくなった。
今では営業終了後には敷地内ですら入れなくなり、防犯カメラまで設置されるようになった。
駐輪場も有料になった事で、放置自転車もかなり減った。

それにあの噴水広場の噴水も、近々取り壊されることが決まったようだ。

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